REPORT
刊行物・研究報告
コラム
2016.11.15
Fukuoka Growth 2015-2016 リレーコラム
2016年4月にウェブ上で発信した『Fukuoka Growth 2015-2016 リレーコラム 』シリーズは、以下よりお読みいただけます。
01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15
01.「食」が世界から人を呼ぶ 「食通巡礼」の地福岡のポテンシャル
✔ピューリッツァー賞受賞歴のある米国人作家が FUKUOKAを褒めちぎっていた
これから、福岡アジア都市研究所の情報発信の一環として、スタッフによるリレーコラムを発信していきます。当研究所の2014年度総合研究「福岡の国際競争力に関する研究」の報告書『「第3極」の都市-Cities on the “Third Axis”』が刊行され、さまざまな指標の国際比較をもとに、「FUKUOKA」の現状や競争力を示しています。
「建築シーン」のロッテルダム(オランダ)、「テクノロジー・ハブ」のテルアビブ(イスラエル)、「デザインセンター」の台北(台湾)など、錚々たる都市が並ぶ中で、福岡市は「Foodie Pilgrimage」として選ばれています。直訳すると「食通巡礼」。さらに詳細をみると、「世界のとんこつラーメン好きの道は福岡に通じる」(原文まま)…という話だとわかります。
少し困惑するところもありますが、世界中のビジネスマンや旅行者が目にする機内誌で、ロッテルダムやテルアビブなどと並列で福岡市が広く知らしめられたのは、喜ばしいことには違いありません。事実、ラーメンをはじめとする福岡市の「食」は、産業としても高い価値を生み出す基幹産業とも呼べるもので、市内従業者の2割以上は何らかの食関連産業に従事しています。農産物や水産物など、新鮮で良質で価値の高い素材の宝庫であることは言うまでもなく、「食べる」という部分でも、福岡市の「食」は内外から高い評価を得ています。
一方で、市民のエンゲル係数は、国内主要大都市で最も低く、比較的安価で良質な食に恵まれているということが言えそうです。そんな中、福岡の食は神(原文まま)。
日本、福岡市を訪れ、食事の感動と興奮を記す外国人旅行者等のブログはよく目にしますが、それが、全米批評家協会賞、ピューリッツァー賞(フィクション部門)受賞者で、世界的に注目されるアメリカ人小説家・ジュノ・ディアズの言葉となると、その重みも俄然増してきます。
02.女性の退職後の多様な生き方 「小川全夫特別研究員」の話を聞いて
✔女性の退職後を議論する段階へ
筆者がこれまで出会ってきた若い女性たちの間では、「結婚」が将来の経済的不安に対する解決策として妥当性の高いものであるという認識が一般的でした。例えば、30代独身女性が、将来受け取れる年金額の低さを知り、愕然として「このままでは退職後生活していけない」と婚活宣言をしてから1年以内に結婚相手を見つけた、という話を聞いても、特に疑問は持ちませんでした。しかし今回、社会老年学を専門とする福岡アジア都市研究所・小川全夫特別研究員(九州大学名誉教授)の話を聞き、「社会福祉制度の改革」や「退職後生活のあり方」など、高齢者を取り巻く社会的環境を、行政やコミュニティの力で変えていくことが必要な時代になっていることを知りました。結婚を唯一の選択肢のように感じていたのが、「結婚だけではない」ということを専門家の視点から気づかされた瞬間でした。
そもそも、超高齢化社会として世界中から注目される現在の日本において、退職後の生活は、性別に関わらず多くの国民の関心事であるはずです。しかし、女性に関しては、2013年に「2020年までに指導的地位に占める割合を30%に」(日本再興戦略より)という数値目標を置かなければならないほど、日本の女性の社会進出は発展途上であり、結婚後は仕事(特に正規雇用)から離れる人が増えるのが現状です。女性の管理職比率は、欧米で30%台(2011年)であるのに対し、日本は11.1%(2012年)です。これは、結婚し、出産を経て再就職しても、非正規雇用となるケースが多いことなども、背景として考えられます。結婚や出産に大きく影響され、小川全夫特別研究員曰く、「女性のキャリアは不安定」なのです。
日本では、女性の社会進出が課題とされる一方で、欧米、特にアメリカでは既に、社会に進出した女性たちのその後、つまり退職後のことを議論し支援する段階になっています。退職後の自律した生活を実現するためにも、不安定なキャリアパスを持つ女性人材を有効に活用できる環境づくりが大切です。
米国カリフォルニア州初の高校の女性校長であったエセル・アンドラス博士(Dr. Ethel Percy Andrus)が、自身の退職後の保険や待遇に愕然とし、プロダクティブ・エイジングという概念の普及や退職者向け健康保険の必要性に応えて、1958年に設立したAARPという高齢者団体があります。「奉仕されるのではなく、奉仕せよ」をモットーに、ボランティア活動の機会提供やその世代に必要な保険・金融サービスの情報提供を行うほか、高齢者生活の質の向上を求めた政策提言や教育など、政治的影響力の強さも世界的に知られています。
サービス業が主要産業である福岡市で、「人」が生み出す付加価値が大きいのであれば、女性や老年者の活用は必須です。結婚に対する考え方は人それぞれですが、未婚、既婚に関わらず、女性の社会進出が増え、退職後の多様な生き方について、本格的に議論できるようになることが望ましいと考えます。
写真はいずれもイメージ(福岡市内撮影)
03.交流拠点形成に向けて 世界の人を呼び込む魅力づくり
✔観光地として大切なのはハード面だけでなくソフト面としての「おもてなしの心」
日本政府観光局による我が国全体の訪日外国人は、2013年の1036万人から2014年には1341万人と29.4%増えたそうです。福岡市においても2015年3月に発表された福岡市経済観光文化局の統計によれば、福岡市の入国者数は120万人を突破し過去最高を記録し、なんと前年90万人から30万人(33%)増となりました。円安により、中国を筆頭にほとんどの国の入国者が増えたそうです。以前から福岡に住んでいる方は、最近街中で中国語をはじめいろいろな外国語が飛び交う状況が以前にもまして増えてきたことを実感されていると思います。当研究所にも、6月下旬に香港から福岡市のまちづくりを勉強するため先生1人、学生14人が研修を受けに訪れましたが、福岡を訪問先に選んだ理由の一つに円安で費用負担が少ないことを挙げていました。現在、人口減少社会にどう対応していくかが国の将来を左右する大きな問題として議論されています。福岡市は今後も当分人口は増加する見込みですが、すでに生産年齢人口は減少してきており、高齢化人口も確実に増加していきます。そのため、福岡市においても、将来にわたり都市活力を持続的に維持していくためには、海外からの訪問客を呼び込む交流人口を増やしていくことに取り組んでいく必要があるでしょう。福岡市は、1987年に策定した基本構想で、他都市に先駆けて「アジアの交流拠点都市」をめざすまちづくりを打ち出しました。以後、福岡アジア文化賞の創設をはじめとした国際交流の取組や福岡―釜山航路となるビートルの就航などにより着実にアジアを中心とした国際化の進展を進めてきましたが、円安という追い風や、2020年の東京オリンピック開催など、世界の人々の目が日本に向いている今、福岡市がグローバル交流拠点として一層飛躍する大きなチャンスです。すでに2015年4月に大型クルーズ船の発着回数増に対応し円滑な出入国審査を手続き行う中央ふ頭のクルーズセンターが完成したほか、空港免税店への百貨店の出店、外貨両替ショップの増など、海外からの訪問客の増大に対応した動きが急ピッチで進んでいます。今後、施設や公共交通などインフラ整備も計画されており、福岡のまちが、新たな国際化へのステージに向けて変わりつつあります。そして来年2016年には、福岡市でライオンズクラブ国際大会が開催されます。この大会は、全体で2万5千人、そのうち1万5千人が海外からの参加者が見込まれるこれまでにない大きなイベントです。国際的に福岡市のプレゼンスを向上させるための絶好の機会が訪れます。訪日外国人のさまざまな意見をみると、日本のサービスの質の高さを評価する声が多いように感じます。ホテルを始めとした施設の充実や標識の多言語化、公共交通利便性向上などハードの受入れ環境の整備はもちろん必要なことですが、合わせてソフト面でもおもてなしの心をもって参加者とコミュニケーションをし、この大会に参加した海外の訪問客から「福岡はよかった」という評価をいただければ、「フクオカ」の名前が世界中に広まることになると思います。海外から多数の訪問客の受け入れに当たっては、言葉の問題などいろいろ解決すべき課題も多いと思いますが、この大会が福岡のグローバル交流拠点形成につながるよう地域全体で取り組んで成功させましょう。【追記】この度「明治日本の産業革命遺産」が正式に世界遺産へ登録されることになりました。官営八幡製鐵所、三池炭鉱跡など、福岡県にもついに世界遺産が誕生します。福岡市にもさらに多くの観光客が訪れることが期待されます。
04. 「9軸ワイヤレスモーションセンサ」を開発した地場企業の活躍
福岡市の「知識創造都市」としての一面
✔世界レベルの技術を誇る福岡の先端技術企業「株式会社ロジカルプロダクト」
その中で、これまでの福岡市の都市・産業政策の評価を踏まえて「スタートアップ都市」づくりの政策課題を抽出しようと、福岡ソフトリサーチパーク事業の充実過程やゲーム産業等の集積動向などをまとめました。
福岡市早良区百道浜における福岡ソフトリサーチパーク事業は、NEC、日立製作所、富士通、旧松下電器産業(現パナソニック)、日本IBM、麻生、韓国の大宇、旧福岡シティ銀行(現西日本シティ銀行)の6社・グループの誘致に成功し、後に(株)ソニーが加わったことでシステムLSI設計あるいはソフトウェアの研究開発拠点となり、2012年の百道浜エリアの情報通信業の事業所数は65事業所、従業者数は5,707人、割合は46.1%に及びます。システムLSI関連産業の福岡市内立地件数は、2000年の18社から、2010年の136社へと急増するなど大きな成果を上げるとともに、福岡市が新しい価値を創り出す知識創造都市としての成長基盤を創り出しました。
福岡ソフトリサーチパークで、大手電機メーカーの情報開発部門技術者間および大学等との研究交流、さらには地場中小企業との研究交流の仲介役を果たしたのが、九州大学の協力の下で福岡市が設立した(公財)九州先端科学技術研究所(略称ISIT、旧(財)九州システム情報技術研究所)です。
ISITは、当初、①第一研究室(システムLSI設計技術)、②第二研究室(ソフトウェア設計技術及びインターネット技術)、③第三研究室(ロボット技術及びヒューマンインタフェース技術)の3研究室でスタートしましたが、その後、④ナノテク研究室や⑤有機光デバイス研究室を設置し、拡充されています。さらに、福岡県と九州大学による「シリコンシーベルト福岡」プロジェクトの中核施設である「ふくおかIST」の(公財)福岡システムLSI総合開発センター等関連施設の福岡ソフトリサーチパークへの立地にも寄与したものと考えられます。
ところで、そのISITや(公財)福岡システムLSI総合開発センターの開発研究プロジェクトに参加しながら、研究開発力を向上させ、先端技術企業へ転換を果たした地場企業があります。
それは、福岡市南区に所在する(株)ロジカルプロダクト社(従業者数23人)です。
1994年に電子機器設計会社として創業した同社は、電子機器設計、特に無線関係の受託業務が中心で、経営の安定と成長のためにも自社製品を持ちたいとの強い意向を持っており、2000年度の競争的資金プロジェクト(公募元:中小企業総合事業団)「超小型実働ひずみ履歴計測装置の開発…」をISIT、九州大学、他企業1社と共同で提案・実施しました。2004年には、知的クラスター創成事業の「超低消費エネルギー化モバイル用システムLSIの開発」への研究協力企業として参加し、さらに、2006年にも戦略的創造研究推進事業、翌年に知的クラスター創成事業(第2期)、2008年には地域イノベーション創出研究開発事業に参加しています。
この間の2006年には、ロボット産業振興会議のロボット開発技術力強化事業「ロボット用低消費電力無線通信モジュールの開発と応用」で小型無線モジュールを開発しています。これは、ロボット用の無線モジュールで、それまで有線でコントロールしていた「ロボットコンテスト」などがワイヤレスでできるようになっていたものが、ノイズに弱く不便であったため、新たにISITや福岡工業大学等と共同で開発したものです。
この「小型無線モジュール」が、国立スポーツ科学センターの目に留まり、センサーと組み合わせてハンマー投げの室伏広治選手のトレーニングに用いられたのを契機に、改良を重ね2009年に「9軸ワイヤレスモーションセンサ」という自社製品を発売しました。
さらにISITとの共同研究で、ロボット産業振興会議の開発支援を得て、筋電・心拍等の生体計測用ワイヤレスモーションセンサやセンサー情報を解析して表示するシステムを改良することで種々のスポーツに使われるようになり、現在では、ほぼ全国の大学で使用される状況となっています。なお、海外ではメンテナンスが難しいため、販売は国内に限られているそうです。同社の会社概要の取引先には、東京大学をはじめ全国の大学名が挙げられています。同社の売上高のほぼ半分がこれら自社製品から得られているそうです。さらに、回転や振動している機器の状態をセンサーで計測し、無線でキャッチする同製品の需要は産業用にも広がりつつあります。また、2012年10月に国際宇宙ステーションから放出された福岡工業大学の小型衛星(愛称:にわか衛星)の製作にも関わるなど、地場の先端技術企業として活躍しています。
福岡市の知識創造都市機能をフル活用し、(株)ロジカルプロダクト社に続く、先端技術型地場企業が次々と生まれることを期待したいと思います。
05. 福岡市への「移住」について考える~住む都市を選択する社会へ
✔福岡市の人の「フロー」の多さは政令指定都市でトップ
✔「フロー」の人材を「移住」に導くためにはシアトルのような「エコシステム」が必要
最近、「移住」というキーワードがメディアで良く使われるようになりました。今年6月に日本創生会議が提言した「東京圏高齢化危機回避戦略」では、医療や介護の受け入れ機能が整っている全国の41地域が高齢者の「移住」の候補地として挙げられました。のちに、政府が決定した「まち・ひと・しごと創生基本方針2015」において、「日本版CCRC (Continuing Care Retirement Community)構想」の推進が盛り込まれ、高齢者の地方への「移住」は国家的な政策へと発展しつつあります。「移住」するということは、基本的にはその人の家族以外はすべて変わることになります。家や周辺環境はもちろん、コミュニティ、仕事、学校、友人、趣味などをリセットすることになり、「移住」するには膨大なエネルギーが必要です。これを高齢者に求めていくことは、今後相当厳しいことになるでしょう。「移住」するのであれば、若くてパワーのある時期に決断したほうが良いのかもしれません。
2011年の東日本大震災以降、福岡へ「移住」してきた人がたびたびメディアに紹介されています。IT系起業者をターゲットとしたシェアオフィス「SALT」を経営しながら「福岡移住計画」を推進している株式会社スマートデザインアソシエーション代表の須賀さんもそのようなお一人です。マイプロSHOWCASE福岡編の須賀さんへのインタビュー記事によれば、「約2年の間に、「福岡移住計画」を通じて移住を考えるイベントに参加した人の延べ数は600名以上、その中から移住を決めた人は10組ほど」とのことです。この数値は、はたして氷山の一角なのでしょうか?本コラムでは、福岡市に2011年以降首都東京から「移住」してきた人の数を推定します。
まず、福岡市で2014年に発生した日本人の人口移動(図表1)について把握します。福岡市では、1年間で市外から69,628人が転入し、市外へ62,170人が転出しました。その差は7,458人の転入超過となっています。この内訳をみると、福岡県内の福岡市外からの転入者数が最も多く、次いで九州内の県および山口県からの転入超過が多くなっています。これらには女性の転入超過数が多いことが特徴づけられます。一方、福岡市から3大都市圏へは転出超過傾向にあり、東京都への転出超過がとくに目立っています。要約すると、九州地域一帯から人口が大きく福岡市に流入しながら、東京都を主に人口が少しずつ流出しています。
次に、東京都と福岡市の間に2005年から2014年に発生した人口移動(図表2)を年代別に見てみます。福岡市から東京都への転出超過の多さが目立つ年代は15~19歳と20~24歳であり、それぞれ大学入学と会社就職という時期と重なります。また、人数は少ないものの、55~64歳は、東京都から福岡市へ転入超過している唯一の年代であり、会社の定年退職の時期と重なります。ここからは、福岡市から多くの若者が東京都の大学や会社に入り、一部の人が定年後に帰って来るという構図が読み取れます。
福岡市から東京都への転出超過数は、2005年以降2,000~3,000人で推移していましたが、2011年にほぼゼロとなり、2014年にかけて戻っています。東日本大震災を契機に一旦福岡市に移動した人口がここにかけて戻っているように見えます。しかし、震災前年の2010年に東京都・福岡市間で移動した人口を、年代別に2011年~2014年と比較(図表3)したところ、以下の特徴が見られました。①15歳~24歳の出入りに大きな変化なし=進学や就職に際して震災を契機とした変更はあまり認められない。②0歳~14歳および、25歳~44歳での出入りの合計値は福岡市のほうが高い=震災を契機に福岡に移動して定着した家族である可能性が高い。
2011年~2014年の集計(図表4)によると、2010年時点と比較して2014年末時点で東京都にいるはずの約2,300人が福岡市に住んでいると考えられます。2015年に福岡市から東京都に転出する人口がさらに増える(すなわち福岡市から東京に人が戻る)可能性もありますが、一定の人口が東京都から福岡市へと「移住」したことは確かだと考えられます。
福岡市は、人口の「フロー」が多いことも事実です。東京区部と政令指定都市において、2014年の1年間に増減した人の割合を比較(図表5)したところ、福岡市は人口の約9%にあたる人が転入(市内の移動を含む)・誕生し、約8%が転出(市内の移動を含む)・死亡しました。私たちのコミュニティのおよそ一割の人が1年間で入れ替わったことになります。人口の「フロー」の多さの背景には、学生の多さがあります。毎年、多くの新入生が福岡にやってきて、多くの卒業生が福岡を去っていくからです。また、福岡市の民営事業所の半数以上を占める支社・支店に勤務する「転勤族」の入れ替わりの多さもあります。
このように、福岡市は東京を含む全国各地からの「フロー」の人口が多く、外部の人を受け入れる環境やマインドが発達していると考えられます。そのため、「フロー」の人たちがそのまま「移住」する機会も多いと考えられます。しかし、現役世代が「移住」するためには、職に就かなければなりません。「移住」者に魅力ある「雇用」を如何に提供できるかが、日本の地方都市共通の課題です。
魅力ある雇用の集積が優良な人材を集積させ、優良な人材の集積が魅力ある雇用を創出する、というサイクルの生みの苦しみの段階にいま福岡市はあると思われます。世界有数の「第3極」の都市であるシアトルでは、このようなサイクルがマイクロソフトやアマゾンを中心としたテック系ビジネスによる「ビジネスエコシステム」としてすでに根付いているようです(佐藤淳氏「地方都市の活性化についてシアトルから学ぶ」に詳しい記述があります)。シアトル市および都市圏が属するキング郡(人口約200万)の人口移動(図表6)においては、全米の多くの州からキング郡への転入超過が見られます。とくに、東海岸のニューヨーク州をはじめ、首都ワシントンDCからも転入超過となっており、シアトルは多くの人材から住まい働く都市として選択されています。
顕在化しはじめた現役世代の福岡市への「移住」の動きを、今後シアトルのように一大ムーブメントへと発展させるためには、福岡市独自の「エコシステム」を構築することが求められます。「グローバル創業・雇用創出特区」の取り組みが進む福岡市は、まさにその創世期にあるといえます。
Image is for illustration purposes only. (Photos are taken in Fukuoka City)
06. 防災先進都市を目指して
✔早い段階の地震・降雨時から情報収集態勢をとる福岡市防災部局
✔福岡市消防局は初動対応の速さで有名
都市は、人々の努力や知恵によって日々進化しています。しかし、突然、いとも簡単に、自然の力によって都市の成長がストップしてしまうことがあります。1995年の阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災をはじめ、国内でも多数の被災地が存在しますが、残念なことに、災害だけは誰にも止めることができないのです。
福岡市は古来から地震が無い地域と言われてきました。645年の筑紫大地震や1898年の糸島地震などの古い記録が残っていますが、これらの震源は筑後地方及び糸島半島であり、福岡市は直接的な被害を受けていません。
そんな中、福岡市は初めて地震を直接的に経験しました。2005年3月20日に発生した「福岡県西方沖地震」です。博多湾を南北に通る「警固断層帯北西部」を震源としたこの地震により、福岡市の安全神話は崩壊しました。しかし、最も危険なのは、福岡市都心部直下を通る「警固断層帯南東部」です。この断層の影響により、今後30年間にマグニチュード7規模の大地震が発生する確率は最大6%、今後100年間での同発生率は20%という調査結果が出ています。これは、国内に2,000以上あるといわれる断層の中で、上から10番目ほどの高い数値です。ちなみに、阪神・淡路大震災の原因となった断層の30年間発生確率が8%だったことを考えると、警固断層帯南東部もかなり高い数字であることがわかります。一方、風水害をみてみると、福岡市は度々水害に見舞われています。1953年に発生した西日本大水害をはじめ、1963年、1973年と、10年に1回程度、大きな水害が発生しています。近年では、1999年と2003年に博多駅地区で発生した大水害は、記憶に新しいところではないでしょうか。(1999年の水害では、博多駅地下街で犠牲者1名が出てしまいました)
ここ数年、いわゆるゲリラ豪雨など想定外の降雨により、昨年起きた広島市での事例のように、土砂災害や河川の氾濫・内水氾濫が全国的に頻発しています。福岡市においても、降雨による災害は他人ごとではありません。
都市の危機管理や防災について、近年、都市の自然災害等に対するレジリエンス(耐久力・回復力)という言葉がキーワードとなり、世界的に議論されています。
福岡市における危機管理・災害対応の取組をみると、防災部局が、初動対応の重要性に鑑み、地震の場合は震度4以上発生時から、降雨の場合は福岡管区気象台から発表される大雨・洪水注意報発表時から情報収集態勢をとり、関係部局(気象台・県・県警・自衛隊など)との連絡調整や被害情報の収集を行うなど、他の政令市と比較しても早い段階からの対応を取っています。(ほとんどの自治体は、地震は震度5弱以上、降雨では大雨・洪水警報発令時以降に態勢開始)
また、市ホームページの危機管理情報サイトに河川水位情報をリアルタイムで確認できるシステムを設けるなど、市民がいつでも災害状況を把握できるよう、情報発信にも努めています。
さらに、緊急時の食糧については、大手コンビニやスーパーなどと協定を結び、市からの要請により必要な食糧・飲料水・生活必需品などが避難所まで配送されるシステムを構築しています。これにより自治体は、余計な在庫を抱え込むことなく、消費期限を気にすることもありません。(流通備蓄と呼びます)
一方、集客施設など民間の施設においても、食糧等の備蓄を自発的に実施したり、施設内への雨水の流入を食い止めるため、止水板の設置にも積極的に取り組まれており、事業者の防災意識の高さを窺い知ることができます。
また、福岡市の消防局は、全国的にも福岡市の初動対応の速さが有名で、救急車は通報から平均6分35秒で現場に到着し、全国平均を大きく上回っています(リンク先PDF・P100 )。(全国平均は8分30秒:平成26年度「消防白書」(リンク先PDF・P172 )より)
07.「アジア」の人々を惹きつけるFUKUOKAへ
―海外人材も活躍できるまちづくりを目指して―
✔観光や留学など様々な目的を持ったアジア各国の人々が福岡市に集まってきている
✔アジアの人材を惹きつけ、様々な人達が活躍できるまちFUKUOKAへ
「ダイバーシティ」、すなわち人材の多様性を活かす社会の在り方について、国内で関心が高まってきています。例えば、経済産業省による「ダイバーシティ経営企業100選」で紹介されているように、「働き方」の面でも、高齢の方、障がい者、女性、外国人など、様々な人たちが働きやすく、個々の特性を活かし十分な能力を発揮できる仕組みをつくるべく、挑戦と努力が行われています。
背景の一つに、日本が、少子化と高齢化による将来的な生産年齢人口の大幅な減少に直面しており、今後の成長のために様々な方法を模索していることが挙げられます。そうした中で、経済連携協定交渉の進展に見られる各国・地域との繋がりの強化を梃子に、人材を含むグローバルな活力を積極的に取り込むことが求められているといえます。
福岡市もこの流れをいかに取り込むのかが問われています。ここで、福岡市の特徴に注目すると、福岡市では、従来から「アジア」と地理的にも経済面でも強く結びつきながら、まちづくりが行われてきました。そして近年では、博多港や福岡空港を利用して福岡に来る外国籍の入国客数も大幅に増えてきており(図表1)、「アジアと繋がりの強い福岡」らしさが顕著に見られるようになってきています。
さらに、ここ数年、外国人人口が増加傾向にあります(図表2)。中国籍や韓国籍の人口に加えて、2013年以降はネパール籍やベトナム籍の人口が増えてきています。外国籍人口に占める留学生のシェアが30%に達しつつあるということからも(図表3)、概ね20代から30代という若い年代のアジアの人達を惹きつけており、若者人口の多い福岡に新たな活気が加わってきていることが分かります。長期的な視点からも、各国の人々が福岡に住み、働き手となってくれるなど、これからの福岡市の成長のためには欠かせない人材として期待されます。
いま、福岡市は、多様性を尊重しみんなが住みやすいまちである、「ユニバーサル都市・福岡」を目指しています。それを達成するための一つの取り組みとして、ここに集うアジアの人達も活躍できるまちを目指すことができれば、福岡市は、多種多様な国・地域の人々の、それぞれの価値観の違いを受け入れ交流する寛容性のある魅力的なまちへと進化し、国内外でも存在感を放つイノベーティブな都市になるでしょう。
先ほど挙げた「働き方」の面では、企業内に新たなアイデアをもたらすことや、国内企業の海外拠点との連携の鍵となるなど、海外人材の活躍が顕在化しつつあります。福岡市は「グローバル創業・雇用創出特区」を推進することで、より多くのアジアの人材を惹きつけるFUKUOKAへと発展することが期待されます。
08. 世界が目指すゲーム産業都市FUKUOKAへ
~産学官連携と都市の魅力を武器に~
✔福岡の住みやすさがクリエイティブな人材を魅了
みなさん、ゲームは好きですか?私自身、小学生の時、ゲームをする前に宿題を必ず終わらせることを条件に、両親を説得し、家庭用ゲーム機を手に入れた覚えがあります。
さて、今年9月に発表された、一般社団法人コンピュータエンターテイメント協会主催による、優秀なコンピュータエンターテイメントソフトウェアを表彰する、「日本ゲーム大賞2015」において、最も栄誉ある“大賞”を2年連続で受賞したゲームソフト制作会社があります。福岡市に本社を構える株式会社レベルファイブです。福岡市には、レベルファイブの他にも有名なゲームソフト制作会社が多数あります。
当研究所発行のFukuoka Growthによると、福岡市内におけるゲーム産業をはじめとするデジタルコンテンツ、ファッション、デザインといったクリエイティブ関連産業事業所数は、2012年時点で2,341事業所あり、福岡市の全事業所に占める割合は3.4%です。全国の主要大都市比較でみても、福岡市におけるクリエイティブ関連産業事業所の占める割合は第4位の高さです(詳しくはFukuoka Growth 集約版(2013-2014)(pdf/5.08MB)P.63)。また、経産省「特定サービス産業実態調査(2008年)」によると、福岡市のゲームソフト関連事業所数も同様に全国第4位となっています。こうした状況から、福岡はゲーム産業の一大集積地であるといえます。
では、なぜ福岡にゲーム産業の集積が起こったのでしょうか。
その要因の一つとして、産・学・官の三者が産業振興のため一体となって取り組んでいることにあると思います。きっかけは、2003年、(株)レベルファイブ・(株)サイバーコネクトツー・(株)ガンバリオンの3社(3社とも福岡市内に本社がある。)によるゲームイベント「GAME FACTORY FUKUOKA 2003」の開催です。
2004年には、九州・福岡のゲーム制作関連会社がパートナーシップを結び、九州・福岡をゲーム産業・デジタルコンテンツ産業の世界的開発拠点とすることを目的に任意団体GFF(ゲーム・ファクトリーズ・フレンドシップ)が設立されました。2005年には九州大学とGFFがゲームの研究開発に関する産学連携協定を締結し、2006年には、GFF・九州大学・福岡市による、全国でも初めての産学官連携による「福岡ゲーム産業振興機構」が誕生。福岡県や経済産業省九州経済産業局からの支援もあり、福岡におけるゲーム産業の振興が進められたのです。
福岡ゲーム産業振興機構の話では、同機構のメンバーであるGFFの正会員は11社(2015年10月時点)で、GFFの正会員を含めた福岡市内のゲームソフト制作会社は、現在約30社に上るそうです。
また、福岡にゲーム産業の集積が進んだもう一つの要因として、「福岡ゲーム産業振興機構」がまとめている、福岡がゲーム都市になりうる理由「生活環境編」と「ビジネス環境編」をあげたいと思います。
「生活環境編」では、福岡のゲーム産業関連企業に勤務する方へアンケートが行われています。ここでは、福岡の良いところとして、3分の1の人が食べ物がおいしいことをあげました。また、多くの人が通勤が楽、自然が近い、交通の便がいいことなどをあげ、平均通勤時間も6割以上が30分未満、主な通勤手段は徒歩や自転車が6割という結果が出ています。これは福岡の住みやすさがクリエイティブな仕事に適していることを示していると言えます。
「ビジネス環境編」では、国内主要都市やアジア各主要都市への福岡空港のアクセスの良さや、空港から福岡の中心地(天神)への交通利便性の高さ、リーズナブルなオフィス賃料、多様・優秀な人材の確保が可能なことがあげられています。まさに、福岡の特徴、福岡の優位性が、ゲーム産業の集積を引き起こしたと言えそうです。
最後にもう一つ、福岡に産業集積が進んだ大きな要因として、ゲーム産業に携わる方の情熱をあげたいと思います。「福岡ゲーム産業振興機構」が掲げる合言葉、「九州・福岡を世界が目指すゲーム産業都市にする。」まさにこれにあらわれているのではないでしょうか。
福岡市の文化の発展に貢献した個人や団体を表彰する福岡市文化賞に、今年度は、「レベルファイブ」社長でゲームクリエイターの日野晃博さんが選ばれました。(福岡市市長会見平成27年10月6日)
産学官の連携、クリエイティブなビジネスに適した環境、そして情熱。福岡市の誇る文化として、福岡がゲームのハリウッドに、いやいや、世界から注目されるゲームのFUKUOKAに発展することを期待しています。
09. これからの福岡発展のカギも鉄道にあり!?
~人の動きとまちの賑わいを創り出す大切なツールとして~
✔快適で成長する都市・福岡の実現に向け、公共交通に関心を持ち、将来を考えよう
去る9月19日と10月3日、タレントのタモリさんが全国各地をブラブラ歩き、街の歴史や人々の暮らしに触れる、NHKの人気番組『ブラタモリ』で福岡市が舞台となりました。放映前から話題となり、ご覧になられた方も多いのではないでしょうか。このうち10月3日の放送は、「福岡と鉄道~福岡発展のカギは「鉄道」にあり!?~」とのテーマで放送されました。鉄道関連の史跡や車両基地を巡りながら、明治時代の市政制定当初は鹿児島、長崎に次ぐ九州第3の都市だった福岡が、路面電車の開業(1910年)による福博一体化、また、西鉄大牟田線の開業(1924年)による沿線人口増などにより、大正期には九州最大の都市となり、一旦は5市合併した北九州市に抜かれるものの、山陽新幹線の延伸開業(1975年)を経て再び九州最大の都市となった、と振り返っていました。
また、これも番組で触れていましたが、鉄道による旅客輸送だけではなく、天神では、福博電気軌道と博多電気軌道の2路線が交差し(現在の天神交差点付近)結節点となったこと、博多では、1963年の駅舎移転及び土地区画整理事業と、36年間にわたり新幹線の西の終点であったこと、そうした「ターミナル化(効果)」が、両地区の今日に至る商業・ビジネスの集積(図表1)の原点となっています。
かつての鉄道は、全国/地域における交通の生命線でした。市内/郊外/都市間の輸送にそれぞれ適した路線を有し、また、ターミナル効果で人や企業の集積を高めた福岡市が、鉄道を背景の一つに大きく成長したことは間違いありません。番組の最後でタモリさんも「福岡発展のカギは鉄道にあった」と大いに納得した所以です。
しかしながら、日本の鉄道整備は昭和40年代まで、旅客輸送よりも貨物輸送、北部九州で言えば石炭輸送の観点から敷設された路線が多かったのです。網の目のように張り巡らされたそれらの路線は、エネルギー革命とモータリゼーションにより多くが廃線の運命を辿ります。
福岡市及び近郊では、西鉄 宮地岳線(一部、2007年)、JR貨物 博多臨港線(一部、1998年)、国鉄 勝田線(1985年)、国鉄 筑肥線(一部、1983年)、西鉄 福岡市内線(1979年)などが廃線となりました。廃止となった理由は様々ですが、もしも、これらの路線が現在も営業していれば、福岡の発展の姿が今とは異なるものとなっていた(一層発展していた?)かもしれません。
例えば、富山県富山市では、利用者減が続き廃線されたJR富山港線を2006年にLRT(Light Rail Transit)化し、利便性・サービスの向上や周辺のまちづくり促進に努めた結果、利用者数はLRT開業前の2~3倍に増えました。そのほか、市内電車の環状線事業化(2009年)、JR高山本線活性化社会実験(2006~11年)など鉄道の利活用促進施策と、様々なまちの整備事業を包括的に進め、中心市街地の活性化やまちなか居住回帰の効果が上がりつつあるそうです。
このように、コンパクトシティ化を進めるうえで重要なツールである鉄道ですが、一方で沿線人口の増大に対応が追いつかず、福岡の鉄道路線でも通勤ラッシュで首都圏並みの混雑度となっている区間もあるようです。
2000年代以降の自動車非所有化(シェアリング他)やコンパクトシティといったトレンド、また、国内外の多くの利用客で賑わう「ゆふいんの森」、豪華クルーズ列車として全国的に話題の「ななつ星in九州」(いずれもJR九州)、「旅人」「水都」(いずれも西日本鉄道)といった観光列車群が、公共交通による旅行需要の誘発、ひいては福岡の魅力向上にも大きく寄与している様を鑑みると、鉄道をはじめとする公共交通機関や交通結節点(ターミナル、ハブ)がどのようにあることが、快適かつ成長する都市・福岡に相応しいのかを考える時期にある気がします。(参考:福岡市の公共交通利用客数の推移)
日本最初の鉄道が新橋~横浜間を走った10月14日は「鉄道の日」とされ、10月にはそれを記念した国土交通省や鉄道事業者などによる様々なイベントが行われます(=九州レイルマンス(pdf/約916KB))。
日々の通勤・通学、あるいは出張・旅行などでの利用を通して、私たちの福岡と、鉄道をはじめとする公共交通機関の未来を一度考えてみませんか?
10. バンクーバーから学ぶ
~世界で最も住みやすく、多様性の高い都市から~
✔多様な人材が交流するFUKUOKAスタイルのグローバル都市デザインに期待
カナダで最も温暖なバンクーバーは、海と山に囲まれた自然豊かな街です。周辺都市を含めた都市圏人口は、約231万人で、福岡都市圏に近い人口規模です(図表2)。
バンクーバーは、太平洋に面し、80%を山岳部と森林が占めていることから、天然資源関連の水産業、林業、鉱物を基幹産業としてきましたが、近年は観光、デジタルメディア関連の産業を推進しています。バンクーバーは、クリエイティブ産業の成長拠点として世界的に認知されつつあり、有名な企業として「Hootsuite」「Flickr」 などのオンラインソーシャルメディア会社、「Electronic Arts」「East Side Games」などのゲーム制作会社などがあります。政府もデジタルメディア等の産業を対象とした優遇制度を設け、今もその数は増え続けています。デジタルメディア・クリエイティブ産業の雇用者数は約2万2,000人にのぼり、年間33億ドルの利益を生み出していると言われています。(参照:internetcom.jp、http://wishpondjp.blog.jp/archives/3559054.html)
英誌「MONOCLE(モノクル)」の「世界で最も住みやすい都市」に、毎年高順位に選ばれるバンクーバー。路線バスや無人IT電車のスカイトレイン、シーバス(渡船)などの公共交通機関が整っており、都心部から空港へも電車で20分でアクセスできるコンパクトシティです。大陸横断鉄道(VIA)の西の終着地点であるバンクーバーは、カナダの太平洋へ向けたゲートウェイ都市として発展してきました。バンクーバー港は、博多港のように市内からの交通アクセスもよく、人、物、文化の入口としてバンクーバーの発展をささえてきました。現在は、カナダ最大かつ北米西海岸でも最大の港湾として機能しています。
ウォーターフロントには、バンクーバー開拓当時に製鉄所を中心として栄えた「ガスタウン」が、今でも歴史地区として保存されています。学術・エンターテインメント・デザインなど様々な分野での著名人が一堂に会する大規模な世界的会議「TED Conference(テド・カンファレンス)」やデジタルメディア技術・コンピュータグラフィックスの学会「SIGGRAPH(シーグラフ)」などの有名な会議が開催される、バンクーバーコンベンションセンターもここにあります。コンベンションセンターの隣には、客船が寄港できるので、船で到着してそのままコンベンションセンターに入館できるほど利便性に優れ、ターミナルの拡張、新規施設の追加などさらなるニーズに対応するため、官民が協力して整備を続けています。(参照:アジアの太平洋ゲートウェイ・輸送ルート整備計画「カナダの太平洋ゲートウェイ」紹介冊子(カナダ政府発行)(pdf/約3.68MB))。また、福岡とバンクーバーはともにシアトル、バルセロナなど世界の類似する10都市が加盟するIRBC(国際地域ベンチマーク協議会:International Regions Benchmarking Consortium)に参加しています。ICCA(国際会議協会:the International Congress and Convention Association)によれば、バンクーバーの年間国際会議開催数は60と北米で一番多く、バンクーバーのMICE政策は、福岡にとって非常に参考になると思われます。
カナダは治安が良く、生活水準も高く、そして多文化・多様性を受け入れる寛容さから、200を超える民族が居住しています。特に人口が集中している都市トロントやバンクーバーは、人種のモザイクと呼ばれ、民族的特色が融合されてしまうアメリカに対して、カナダではお互いが出身地域の文化を尊重し、それを保持したままモザイクの一片のように共存しながら国を形成していると言われています。多民族都市の象徴として、『「第3極」の都市』で紹介されているように、バンクーバーのレストランの人気料理上位5種類のうち、多国籍レストランが占める割合は24%です。しかし、その数を上回るのが、日本食レストラン数で26%となっています(図表3)。このようにバンクーバーの日本食人気は根強く、寿司はもちろんラーメン、うどん専門店も出店しています。残念ながらその多くは日本人以外の経営によるものですが、日本人の経営による店も増えてきたようです。また、本場福岡のとんこつラーメン(暖暮)もダウンタウンに出店するなどバンクーバーはラーメン激戦地となっています。福岡発祥の店が海外へ進出しているだけでなく、バンクーバーで起業している、長勝博氏(IT/WEBマーケティング、広告PRなどをサポートする会社を経営)やEtsu Inoue氏(画家・書家)らも活躍しています。
福岡は「袖の奏」と呼ばれ、バンクーバーと同様に、古くから人や文化の入口として発展してきました。また、Fukuoka Growth「09 クリエイティブによる産業の進化」で紹介されているように、福岡市は、クリエイティブ関連産業の事業所数や従業者数が多く、「妖怪ウォッチ」などのゲーム、「紙兎ロペ」などのアニメは、海外にも進出しています。今後もより多くの福岡ブランドが海外へ進出することができれば、海外のより多くの人や企業が福岡に注目し、ビジネスチャンスも拡大します。福岡では今後、ウォーターフロントの再整備やMICEの推進により、アジアの交流拠点として機能が高まることによって、海外からの多様な人材の交流が進むと思われます。多様な人材の活力による持続可能性を持ったバンクーバースタイルを折り合わせた、FUKUOKAスタイルのグローバル都市デザインが進むことを期待しています。
11. 福岡市地域包括ケア情報プラットフォームの構築
~住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最期まで続けるために~
✔本人や家族と医療関係機関の情報共有をICTによって促進
✔福岡市地域包括ケア情報プラットフォームによる先進的なモデルシステム構築への期待
我が国の高齢化は世界に類をみないスピードで進展しており、国においては、2025年(平成37年)を目途に、高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制(「地域包括ケアシステム」)の構築を推進しています。ここで重要となるのが、サービスの提供側だけでなく、当事者である本人・家族等利用者側も含めた関係者間の「正確で」「早く」「切れ目のない」情報のやりとりです。例えば、急性期(症状が急激に現れる時期)の治療(医療)終了後の回復期(日常生活動作の自立をはかっていく時期)で在宅医療介護を受けることになった場合、高度治療を行う医療機関、居住エリア内の医療機関、介護専門職、在宅介護支援施設事業者、患者(利用者)生活支援サービス事業者など、さまざまな機関等との情報共有が必要となります。
近年のICT(情報通信技術)の進展は、介護・医療、福祉分野においても、従来にはなかった情報共有の体制づくりを可能とし、さまざまな機関による効率的な情報の共有等を可能とするICTを活用したシステム構築の取組が全国的に進んでいます。
福岡市の保健福祉局でも、平成27年度から3か年計画で、「地域包括ケアシステム」の情報基盤となる福岡市地域包括ケア情報プラットフォームの構築に取組んでおり、ICTを活用し、支援側・利用者側を含めた多様な関係者間の情報共有の実現をめざしています。【図1参照】
2015年度(平成27年度)は、データに関する基盤構築整備の時期にあたり、情報プラットフォームのコア部分にあたる行政内部データや統計データ等の集約及び介護や医療などそれぞれの機関が保有する独自情報・データの整理と整備を行っているところです。今後も、順次プラットフォームの整備が進められ、福岡市における「地域包括ケアシステム」の情報基盤として構築されます。【図2参照】
福岡市地域包括ケア情報プラットフォームが本格的に運用されると、サービス提供側である医療・介護関係者だけでなく、利用者である地域住民の安全・安心な生活を守るために必要な情報システムとして、関係者間の連携が促進され、「地域包括ケアシステム」が目指す支援・サービス提供体制の確立につながるものと期待されます。
情報システムの構築に当たっては、セキュリティの確保が欠かせません。福岡市地域包括ケア情報プラットフォームでは、個人情報保護上の配慮や、データ利用上の制限等の条件整備、データ利用に対する責任の範囲等、様々な課題の解決も並行して進められています。
今後の超高齢社会への対応に当たっては、このようなICTなど最新技術を利活用し、高度なサービスを安全に、効率的に提供していくことが大変重要になります。福岡市における地域包括ケア情報プラットフォーム構築の先進的な取組が、他の自治体のモデルとなるような完成度の高いシステムとなることを期待しています。
12. 環黄海地域の交流拠点都市・青島
~福岡とともに日中韓のネットワーク強化を目指して~
✔国内企業本社だけでなく多数の外資系企業が立地している
✔環黄海対岸地域にある日本及び韓国との経済協力の拡大が進む
11月下旬、景観関連の国際会議に出席するために、半年ぶりに中国の青島市を訪れました。福岡空港から直行便でわずか2時間で行ける青島ですが、日本での知名度は必ずしも高くなく、青島ビールで名前を知っている程度ではないでしょうか。
しかし、長い海岸線を有する海浜都市青島は気候に恵まれ、中国では避暑地としての人気は非常に高い地域です。またドイツが統治していた時代に作り上げた異国情緒漂う建物や街並みは旧市街地一帯を中心に今も数多く残っており、“紅瓦緑樹、碧海藍天”(康有為)※注1という鮮やかな都市イメージが人々を惹きつけています。2010年以降、青島は中国国内での「幸福度の高い都市」としてたびたび1位に選ばれ、コンパクトで「適度に田舎」であることが住みよいまちとしての定評につながっています。(青島新聞網http://news.qingdaonews.com/qingdao/2015-06/24/content_11121407.htm)
青島は中国の13の副省級都市(日本の政令指定都市に相当)の一つとして、改革開放後に大きな経済成長を成し遂げてきました。青島ビールを始め、大手家電メーカであるハイアール(海璽)やハイセンス(海信)など、中国を代表する大手企業はここ青島に本社を据えています。また、青島経済成長の背景に外資系企業の活躍も見逃せません。青島市はこれまでに500億ドル以上の海外直接投資を受け入れ、6,400社以上の外資系企業が現在も操業しており、そのうちの114社はいわゆる世界500強の分類に入る有名企業です。(2014/03/27 人民日报海外版)
青島は日本との関係も非常に密接です。青島には日本総領事館、日本人学校、日本人会があり、日本企業も1,044社が進出しています(青島日本総領事館HP)。そのうち九州福岡から進出している企業は21社あります(九州経済調査協会調べ)。
現在、青島港はアジア有数の深水不凍港として、世界130カ国450以上の港とつながっていて、博多港とも毎週4便以上のコンテナ定期航路を持っています。今年5月から、青島港を母港とするクルーズ船「ニューセンチュリー号」が就航し、青島から九州の鹿児島、長崎、博多港等を周遊するクルージングツアーが始まりました。(2015/05/29 齐鲁晚报)
一方、福岡市と青島市は1999年の食品商談会などを通じて経済交流を開始し、2000年に福岡市が青島市も加盟する「東アジア(環黄海)都市会議」実務者会議に加わったことで定期交流のメカニズムが出来上がりました。その後、2003年2月に青島市と「経済交流に関する覚書」を結び、青島市で開かれる「中国国際電子家電博覧会」で福岡市のアイランドシティをPRするほか、福岡国際見本市に青島市が物産を出展するなど経済交流が進められました。青島の金属部品メーカが福岡事務所を開設したこともありました。
このほかにも、福岡市は、釜山、シンガポール、大連、広州、杭州、シアトルとも経済交流覚書を結んでいます。アジアに隣接する地理的な好条件から、中韓を中心としたアジアとの交流を加速し、福岡市の国際経済拠点化を進展させてきた経緯があります。(2003/02/06、2007/05/25 西日本新聞)
今、九州福岡をめぐるアジア近隣都市は、急激な経済成長に伴い、所得水準の向上と都市規模の拡大がもたらされる一方、深刻な環境問題や社会問題にも直面しています。都市間の連携や相互のネットワークの強化なくしてこれらの問題に効果的対処することは困難であるとの認識が深まっています。10月に北九州市で開催された日本、中国、韓国の環黄海11都市が参加する「東アジア経済交流推進機構(OEAED)」の第10回環境部会では、「水処理対策」をテーマに、環黄海地域の水処理対策を参加都市が共同で推進していくことなどが確認されたばかりです(2015/10/21 環境新聞)。11月に中国煙台市で開かれた「東アジア経済交流推進機構総会」では、「会員都市間における経済・貿易や観光などの分野での提携を促進し、各会員都市による複数の都市との提携を支援して、3カ国の経済発展が直面する環境などの課題の解決を目指す」『煙台宣言』が採択されました。(2015/11/26 新華社ニュース)
青島はおよそ10年おきに成長のステップアップをしています。我々は関門トンネルの倍ぐらいの長さもある胶州湾海底トンネルを通って、まだ完成していない黄島区唐島湾海浜公園一帯を案内されました。1990年代までに南西部の旧市街地を中心に展開していた青島は、その後市役所を東に移転し、道路やホテルなどの都市インフラを加速度的に整備し、かつての街並みを残す旧市街地とは対照的な新市街地を作り上げました。
そして2000年以降、胶州湾大橋と胶州湾海底トンネルを開通させたことによって黄島新区との一体化を図り、青島市の都市空間を大幅に拡張させ、2020年までに1,000万人都市へと成長する青写真が描かれています。(2014/11/21 半島都市報)その推進力の一つは環黄海対岸地域にある日本及び韓国との経済協力の拡大です。
青島にとって日韓は主な貿易投資対象国であり、住みよいまちづくりを目指している点で福岡と共通する部分も多いはずです。ニーズとシーズが合致し、ヒト、モノ、カネの流れが最も多い近隣都市がこれまで築いてきた様々な交流プラットフォームを活用し、情報交換をはじめ、政策協力やニュービジネス発掘につなげていく努力が求められています。
13. 福岡マラソンへの期待
~ランナーの目線から~
✔東京マラソンを皮切りに市民マラソンがランニング人口を牽引
✔順調に増加する市民マラソンも、やがて淘汰の時代へ!
一昨年創設されて2回目の新しい大会ですが、前回は落選してしまいましたので、今回が初参加でした。3年前までは、フルマラソン大会に出るなど全く思いもしなかった私ですが、今では大都市の市民マラソンに積極的に申し込むようになっています。そのような背景も加味しながら、ランナー目線で「福岡マラソン」について見てみたいと思います。市民マラソンの新設ラッシュ
福岡マラソンが開催される11月は秋~初春のフルマラソンのシーズンインの月になります。福岡マラソンは今回2回目のまだ新しい部類の大会になりますが、2015年も「おかやまマラソン」「金沢マラソン」「富山マラソン」「さいたま国際マラソン」など、大きな市民マラソンが新設されています。
月刊誌「ランナーズ」を発行するアールビーズ社の統計によると日本陸連公認コースのフルマラソンは2004年の49から2014年は72大会に増えています。特に、東京マラソンが始まった2007年以降では、2倍以上の増加を見せています。ランニング人口の拡大
笹川スポーツ財団の「スポーツライフに関する調査報告書」によると、2014年の調査から、成人のジョギング・ランニングの週1回以上の実施者は550万人と推計されています。
マラソンブームの起爆剤となった東京マラソン開設以降の2008年から、習慣的なジョギング・ランニングの実施者は全体として増加傾向にあります。(【図表1】参照)
東京マラソンの成功を手本として、それまでの主流だった郊外型のコース設定が都市型へと変わってきているそうで、普段走ることのできない見慣れた都心部や繁華街のコース設定は、多くの市民ランナーを惹きつけていると言えるでしょう。
また、一般的に、市民マラソンが新設された開催地でのランナー人口は急激に増えると言われており、これまでマラソン大会に出場したことがなかった層が、地元の一大イベントととらえて、完走に向けて習慣的に取り組む様になるそうです。最近では、出走権の抽選の際に「地元優先枠」を設ける大会も増えており、このことも地元のランナー人口の増加に一層拍車をかけていると思われます。(福岡マラソンでは、定員10,000人中2,000人が福岡・糸島市民優先枠)ちなみに、私の習慣的なランニングのきっかけは、3年前に高校時代の同級生との飲み会の席で健康管理の話になり、ランニングを習慣にしている者・ランニングを習慣付ようとして挫折した者が意外と多く「皆でレースに出場しよう。それをモチベーションに練習しよう。」という酔っ払い特有の威勢の良い話になった事からです。
それまでの私は、普段の不摂生からくる体重増加を気にして、時々思い出したようにランニングをしていましたが、長続きするはずもなく、大会には出場したこともエントリーしたこともありませんでした。
酒席での誓いを機に、少しずつトレーニングして最初は10kmの大会に何度か出場・完走し、以後ハーフからフルマラソン完走へとステップアップできました。10km大会に初めて出場した時はゴールまでずいぶん遠く感じたものでしたが、今では普段の練習で10km以上の距離を走るようになっています。比較評価されるマラソン大会
近年新設された市民マラソン大会は、運営手法や企画が既存の大会に似たものが増えていると言います。大会の創設が決定してからレースの開催に至るまでには長い準備期間が必要であり、その間、担当者たちが東京マラソンをはじめとした、既存の人気を博している大会を視察・出走してお手本にしてくるそうですので、必然的に評価の高い大会の「良いとこ取り」となって似たものになってくるのでしょう。前出のアールビーズ社が運営するインターネットのポータルサイト「ランネット」では、全国の主要な市民マラソン大会への出場申込み等、市民ランナーに便利な機能のほかに、実際に参加したランナーがその大会を100点満点で評価する「大会レポ」というコーナーが存在します。「インフォメーション」・「会場」・「スタート、コース、フィニッシュ」・「記録、表彰」・「全体の感想」といったテーマで24項目の運営状況を評価するシステムになっています。(【図表2】参照)これは、いわゆるランナー目線での大会の採点簿とも言えるもので、大会主催者にとって重要な参考データになると言われています。では、この評価に基づいて福岡マラソンの相対的な位置を見てみましょう。
下の表は新設された大会と福岡近隣都市の大会、そしてベンチマークとなる東京マラソンを加えた直近3年間の評価一覧表です。
地元の福岡マラソンの評価(随時更新)を見ると、初回の2014年「67.2」今回の2015年「86.7」(2015/12/18現在)と大きく改善しており、主催者の運営向上の取組が飛躍的な伸びにつながっているものと思います。しかしながら、90点台のポイントを獲得している大会も多いことから、相対的に福岡マラソンはまだまだ改善の余地があると言えるでしょう。
評価項目を個別に「ランネット」HPで見ると、「スタート前の給水」「見やすく正確な距離表示」「参加賞」「コストパフォーマンス」「次回大会の参加」に改善の余地があるようです。
ランナーからの提言
一昨年新設された福岡マラソンは、抽選倍率4.3倍と人気のある大会です。日本国内でも抽選倍率4倍超の大会は限られ、福岡マラソンの他には、東京(11.3倍2016年)・大阪(4.5倍2015年)・神戸(4.3倍2015年)・京都(4.3倍2016年)しかありません。
福岡はコンパクトシティと言われるだけに、九州一の繁華街天神の道路をスタートし、都市部そして自然豊かなエリアへと変化に富むコースを走る魅力は、唯一無二と言ってよいでしょう。そして、他県から訪れるランナーにとっては、旅行地としての魅力にもあふれた大会だと思います。一方で、昨今の市民マラソンの新設ラッシュによって、開催日の重複や近接による併願当選者の辞退問題などが新たに表面化しています。インターネットによって複数の大会エントリーが簡単にでき、各大会の情報も容易に得られる今では、ランナーの選別は一層進み、魅力のない大会はやがて淘汰されていくと言われています。福岡マラソンをさらに魅力ある大会に育てていくためには、前出の「ランネット」のランナーレポートをはじめとしたランナーの声にしっかり耳を傾ける必要があるでしょう。
出場経験のある地元ランナーの一人として、福岡マラソンのますますの発展を心から願ってこのレポートの結びといたします。
14. 節水型都市への発展
~都市の成長に不可欠な水資源確保の経緯~
✔過去には度重なる給水制限が市民生活の脅威に
✔「節水型都市づくり」を進め、一人当たり給水量は大都市最少に!
福岡市は市域内に大きな河川を持たないにもかかわらず、150万を超える人口を有する都市に成長しました。なぜ可能だったのか、水という基本的なインフラの面から考えてみます。
1月下旬、九州各地は寒波の影響による断水等が相次ぎましたが、今から38年前、昭和53年、福岡市は287日にも及ぶ給水制限に追い込まれました。当時の人口105万人、施設能力日量47.8万立方メートルを江川ダムと都市圏内の4ダム、河川からの取水で賄っていたのですが、平年の7割という異常少雨の結果、福岡市のみならず福岡都市圏含めて市民生活などに甚大な影響をもたらしました。そういった危うい基盤の解消に向けて、昭和54年に「福岡市節水型水利用等に関する措置要綱」を制定し抜本的な対策を図り、今日まで、より「安定的な水の供給」と「節水型都市づくり」を基本に様々な施策に取り組んできています。
まずは都市圏内の多々良水系や那珂川水系のダム建設や取水を進めるとともに、待ち望んだ九州一の河川筑後川からの導水が昭和58年完成しました。その恩恵は福岡地区水道企業団を通して都市圏に及んでいますが、福岡市でみると江川ダムと平成25年の大山ダム供用による増量分を含めて、現在の施設能力日量77.77万立方メートルの実に32%を筑後川水系に負っていることになります。まさに流域の住民や自治体などの理解と協力があってこそのものです。
併せて、気象条件に左右されず安定給水が可能な海水淡水化施設(まみずピア) が平成17年に完成するなど、新しい技術の活用にも乗り出しています。
一方、市民の高い節水意識と節水じゃ口等機器の普及、日本初の再生水利用などにより、市民と一体になった「節水型都市づくり」が進み、平成25年度の配水量は日量約40万立方メートル、1人当たり配水量は大都市で一番少なく(図1)なっています。ちなみに、平成25年度の夏は、福岡市は猛暑に見舞われ、月間平均気温が全国最高の30度、連続猛暑日も17日間を記録した年でしたが、それでも水の使用量は大都市最少でした。
また、市内全域に公平で円滑な給水を図るための配水調整システム(水管理センター) の設置や漏水調査により、水の有効利用を極限まで図ると同時に、水質維持や安全な配水にも努めています(図2)。
平成6年から平成7年にかけては前回を上回る異常少雨で、295日の給水制限でしたが、延べ時間では前回の6割、さらに平成17年は観測史上3番目の少雨でしたが、給水制限には至りませんでした。流域内から流域外、さらには海水からつくるという水資源開発、配水調整システム、そしてなにより市民の協力による「節水型都市づくり」によるものでしょう。
現在、関係の8ダムの貯水状況は昨年来の多雨傾向により、9割を超えています。しかしながら、近年は気候変動の波が大きく、取水制限が続いた年もあります。
そこで、那珂川水系南畑ダム上流に、有効貯水容量3,970万立方メートルと県内最大となる五ヶ山ダムが平成30年度供用開始予定で建設中です。このダムは渇水対策容量を持つことが特長で、全体で1,660万立方メートル、福岡市分1,310万立方メートルを有し、10年に1回を超える規模の異常渇水時に対応するものです。ストッパーの出現は心強い限りですが、引き続き「節水型都市づくり」も必要でしょう。生活インフラとしての欠かせない水道ですが、地域を取り巻く厳しい水資源環境を踏まえ、水源確保や地域が一体となった節水への取組を進めてきたことが、福岡市が今なお成長を続ける要因の一つになっていると考えています。
15. 福岡の発展をささえる都市情報
~URC都市政策資料室38年間の歩みとこれから~
✔URC都市政策資料室は職員のみならず市民に開放
✔都市とアジア情報を主軸とした「知の交流拠点」へ
オープンデータが進む現代にあっても、インターネットで入手できない情報はまだまだ多くあります。とくに、都市にかかわる情報は、図や写真も多いため、とりわけ過去の資料については原典を直接あたらない限り、取得することは極めて困難です。この状況は、オープンデータが今後進んでも、なかなか変わることはないと思われます。URC都市政策資料室(以下「資料室」)は、福岡市が全国に先駆けて策定した記念すべき『第一次総合計画』以降の計画書や関連資料がすべて揃っている資料室として、総合計画の改定や新たな政策立案のためのリファレンス提供に寄与してきました。もちろん、URCの都市政策研究を推進するための、「知のストレージ」としての役割を担い続けていることは、いうまでもありません。本コラムでは、資料室が現在の姿に発展した経緯を記すとともに、今後の展望についても考えてみたいと思います。
資料室は、昭和53年12月に福岡市総務局企画調整部の資料室として福岡市役所北別館の8階に設置されました。設置の目的は、企画調整部に寄贈される福岡市内外の行政資料をはじめ国の答申等資料、シンクタンクの報告書等の散逸を防ぎ、必要な時に即座に使用できる体制を整えるためです。その他、企画立案に関わる図書、雑誌を収集していました。当時の広さは25平方メートル、蔵書は約3,500冊、雑誌42タイトルで閲覧席2つというささやかなもので、同じフロアは他に電算室があるだけの静かな空間でした。翌年度には専任の司書を置き、本格的にサービスが開始され、8月からは広報誌、「資料月報」(隔月刊)が発行されました。
昭和63年8月、「福岡都市科学研究所(現在の福岡アジア都市研究所も含め「URC」)」が設立されたため、資料室は同じ建物の6階にできたURCに併設されることになりました。資料室の面積は約90平方メートルに拡大し、蔵書は約10,000冊、雑誌80タイトル、閲覧席11となり、さらに福岡市職員に限られていた利用は一般開放となりました。
その後、シンクタンクに併設する資料室として、研究や事業推進に必要な資料・情報をその都度収集・提供し、資料管理システムの効率化をはかり、URCの機能に応じてスペースの縮小、拡大、サロン化等が行われています。
平成16年4月、URCとアジア太平洋センターとが統合され、「福岡アジア都市研究所」となったのを機に、資料室もアジア太平洋センター資料・情報室と統合し、約180平方メートル、蔵書約33,000冊、雑誌320タイトル、閲覧席18と大きく変わりました。その後、平成18年4月、160平方メートル、閲覧席9と少し縮小し、現在に至りますが、蔵書約40,000冊、雑誌260タイトルとなっています。
資料室の強みは、「第1次総合計画以降の福岡市の総合計画及び総合計画関連資料」などの重要資料が揃っていることが挙げられます。昨年、福岡市役所1階ロビーおよび県立美術館において「光吉健次(URC初代理事長 以下「初代理事長」)回顧展-明日の建築と都市展-」が開催された際には、資料室も全面的に協力しました。福岡市における初代理事長の活動についてのまとまった情報を、資料室の持つアーカイブ機能によって幅広く提供することができました。
また、資料室の情報提供の形も、資料を受け入れし、並べて利用者を待つだけでなく、平成18年より随時「ミニセミナー」(小規模講演会)を開催し、都市に関する知識の普及に努めています。講師は開始時からしばらくは、URCの内部職員が務めていましたが、最近は外部講師も招へいし、提供する話題の幅も広がっています。広報誌として「URC資料室だより」を月刊で発行しています。資料室の話題だけではなく、URCの調査研究の話題やURCが事務局業務を受託している「福岡地域戦略推進協議会(FDC)」の話題も掲載しています。
そして今、資料室は新たな一歩を踏み出そうとしています。インターネットの普及など近年の情報化の進展等もあり、資料室に求められているものが変わってきているのではないかと感じています。資料・情報の取捨選択を行い、蔵書をコンパクト化し、空いたスペースをミニセミナーを発展させた情報発信のために活用する準備をしています。利用者のコワーキングスペースとしての機能も考えています。しかし、知の源泉としての資料が軸足であることは変わりません。これまで収集した貴重な資料や、URCのアーカイブを形成し、活用することも大切です。アジア太平洋センターの資料・情報室が独自に収集した資料は、国内他図書館に所蔵していないものが多いのです。これらの活かし方をどうするか、今後、他図書館との協議を行いながら資料の継承・活用方法を考えていきたいと思っています。
科学技術イノベーションの飛躍的な進歩とともに、今後10から20年後には、現在の約半分の職業がなくなると予測されています。図書館や資料室も、今後大きく変わると思われますが、消滅することはないのではないでしょうか。なぜならば、イノベーションは、結局のところ、人と人の交流・接触によって生み出され続け、図書館や資料室は、イノベーションを創出する場として活用されるべきだと思うからです。URCの資料室も、都市とアジア情報に軸足を置いた「知の交流拠点」へと変革していけるように、今後とも引き続き取り組んでいきます。