REPORT
刊行物・研究報告
総合研究
2020.03.30
外国人の防災~みんなが助かる社会の構築に向けて~
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著者 | 中村 由美・菊澤 育代 | |
出版日 | 2020年3月 | |
キーワード | 福岡市の災害リスク 都市の外国人防災の取り組み 外国人の集住傾向 災害時に外国人が直面する課題 外国人への情報発信 |
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区分 | 研究報告書 | |
URC研究区分 | 総合研究 |
福岡アジア都市研究所(URC)は、2019年度総合研究報告書『外国人の防災~みんなが助かる社会の構築に向けて~』を発行しました。近年の自然災害の頻発と外国人の来訪者・在住者の増加傾向を踏まえ、外国人の防災という切り口から、福岡市における「誰もが助かるまちづくり」に向けて検討を行いました。
ポイント
・自然災害の頻発や外国人の増加をうけて進む災害時の外国人支援
・福岡市における外国人が多い地域の災害リスク、多言語による情報提供の取組
・外国人支援の先進事例(関係各所の連携、ボランティアの活用、多様な情報発信ツールなど)
・異なる言語特性に配慮した情報伝達と、言語だけではない重層的な制約への配慮の必要性
・多言語化を意識した情報発信の必要性、外国人が支援側に立つ可能性
・外国人の防災力の向上は、子どもや高齢者を含む地域全体の防災力の向上に寄与
コラム
調査研究の過程で得た情報や研究員の気づき、調査研究の一環として開催したワークショップの内容を、URCのWEBサイトでコラム形式で発信してきました。報告書とあわせてご覧ください。
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URCナレッジコミュニティ 防災ワークショップ【報告】
「“一人ひとり”の多様性と防災~オリジナルな防災カード作成を通じて考える~」
自然災害が頻発する中で、日ごろから備えの重要性が高まっています。備えは、私たち一人ひとりの年齢、性別、国籍、職業、趣味、身体的特徴、ライフスタイル、習慣、住まい、コミュニティ等は異なっており、誰一人として同じではありません。今回のワークショップは、「わたしの防災カード」作成を通じて、一人ひとりの多様性への気づきや必要な備え、多様性のある社会における防災について意見を交わしました。防災、国際、観光、男女共同参画、地域コミュニティ等の様々な分野に携わる計27名の方(うちオブザーバー2名)にご参加いただきました。
◆ワークショップ概要◆
【タイトル】「“一人ひとり”の多様性と防災~オリジナルな防災カード作成を通じて考える~」
【日時】2020年1月30日(木) 16:00~17:30
【会場】福岡アジア都市研究所会議室
【主催】公益財団法人福岡アジア都市研究所
【共催】福岡市
【プログラム】
16:00 URC常務理事挨拶
16:05 URC報告「一人ひとりの多様性と必要な備えとは」
(報告:URC研究主査 中村由美)
16:20 ワークショップ(「わたしの防災カード」作成と議論、各自の防災カードの自由閲覧)
17:05 意見交換「多様性のある社会における防災」
(進行:URC研究主査 菊澤育代)
17:30 終了
※今回のワークショップ開催にあたり、Yahoo! JAPAN様よりYahoo! 防災カードをご提供いただきました。Yahoo! 防災カード(全143種類)は、「人の数だけ備えがある」というコンセプトのもとで作成され、一つ一つのカードの方面に自分の身の回りのこと等の「条件」、もう一方の面にそれに対応する「備え」や「自分ができること」が書かれており、多様な備えのヒントを与えてくれます。
*Yahoo!防災ダイバーシティページhttps://www.aid-dcc.com/works/yahoo-bosai
◆URC報告◆
冒頭、中村研究主査よりワークショップ開催の趣旨説明と基礎情報の提供として、「一人ひとりの多様性と必要な備えとは」について報告を行いました。多様性は年齢や性別といった外面にとどまらず、趣味、コミュニケーションスタイル、習慣等の個々の内面の特性の違いも含む概念です。一人ひとりに違いがあることから、災害の前や災害時に必要なものは異なり、多様な備えがあると言えます。報告の中では、こうした多様な備えを考えるきっかけになるものの事例として、Yahoo!防災カードも紹介しました。
福岡市には約159万通りの備えがあると言えますが、一人ひとりの違いを知りそれらに配慮していくためには、お互いを知り話し合うことのできる環境づくりが大事です。今回のワークショップをそうした場にしたいという想いを参加者に伝え、ワークショップに臨んでいただきました。
◆ワークショップ:「わたしの防災カード」◆
報告に続くワークショップでは、4つのグループにわかれ、参加者はそれぞれ「わたしの防災カード」を作成しました。
「わたしの防災カード」の作成
まず、一人の人物像を設定し、その設定をもとにプロフィール(自身や身の回りについて、住まいや暮らしについて、カラダの状態など、趣味や習慣について)を書き出します。人物像では、「自分のこども」、「外国人の同僚」、「自分の祖母」等の身近な人や自分自身をイメージしたものが見られました。次に、人物像とそれに沿ったプロフィールをもとに、災害が起こった時に必要なものや、災害が起こる前にできることなどの備えと、そう考えた理由について記述していきます。
「グループメンバーの防災カード」(グループ内の意見交換)
こうして出来上がった「わたしの防災カード」をもとに、テーブルファシリテーターの進行により、各テーブルで意見が交わされました。自分の祖母を想定した人は、“足が不自由なので避難経路を事前に確認する必要があると思う”、プロフィールで眼鏡をかけていると記載した人は“日頃からスペア眼鏡を持っている”、ペットを飼っている人は“餌だけでなく排せつについても考えないといけない”など、各自が設定した人物像やそれに必要な備えについて紹介していきます。他のメンバーの意見に共感したり、同じプロフィールを考えた人が異なる備えについて発表し合ったりする様子や、意見交換の中で新たに得られた気づきを自分のカードに記入する参加者の姿が見受けられました。
また、今回、カード作りや議論の参考として、各テーブルへYahoo! 防災カードを配付していましたが、自分が書いた内容やグループの議論と照らし合わせたりしながら話し合う様子も見られました。
「25通りの防災カード」(自由閲覧)
グループ内の意見交換終了後、各自が防災カードをテーブルに置き、他のグループの参加者のカードを自由に見ていきます。25通りの防災カードはどれも想定された人物像や備えが異なっており、参加者は熱心にほかの人が作成した防災カードを読み込み、意見を交わしていました。
◆意見交換「多様性のある社会における防災」◆
25通りの防災カードを閲覧した後、参加者全体の意見交換が行われました。
まず、防災カード作成や閲覧を通じて得られた多様性への気づきについては、「各自の想定がそれぞれ違うので、“そうなんだ”と気づきがあった」という意見のほかにも、「一人ひとりに違いはあるが、国や年代に関わらずスマートフォンの充電器のように誰にでも共通する備えもある」という、多様性と共通性に関する意見が出されました。その他、「備えの中でも命に直結するような優先すべきものがある(例えば持病を持っている人は薬など)」との“備えの優先順位”、という意見に対し、参加者が思わずうなずく場面も見られました。
また、「自分を想定して防災カードを書いたが、自分自身の防災について気づきを得ることができた」という意見もありました。今回のワークショップが参加者自身の備えを振り返る機会にもなったようです。
続いて、進行から、「備えというと自分に足りないものやできていないものというマイナス面に目が向きがちだが、“自分だからこそできること”というプラス面」について問いかけると、「もしも自分がお笑い芸人や、音楽ができる人だったら、被災した人たちに癒しを提供できるかもしれない」との意見が出され、プラス面という視点から、参加者が改めて自分の防災カードを見直す様子も見られました。
◆全体を通して◆
今回のワークショップは、防災カードの作成や意見交換を通じて、自分とは違う誰かへの気づきを得たり、自分自身の日頃の防災について考えたりする機会になったのではないでしょうか。参加者自身が作成した「わたしの防災カード」と、気に入ったYahoo! 防災カードは、参加者におみやげとして持ち帰っていただきましたが、それらを話のタネとして、今度は家族や職場などで災害への備えについて話し合っていただければと思います。
また、今回の参加者の中には、地域で避難訓練などの防災の取り組みをされている方もいらっしゃいました。「自分の身の回りのことやカラダの状態など、具体的に考えていくという方法が参考になった」、「自分の地域でも同じようなワークショップをやってみたい」との感想もいただきました。今回のワークショップが、防災教育の一つのアイデアとして、各地域の防災力向上の取り組みにつながっていけば嬉しく思います。
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世界の“BOSAI”とボランティアのゆくえ
✔ BOSAIの主流化
✔ 支援受け入れ機関の役割と負担
✔ 非公式セクターの制度化と“BOSAI”力の向上
2019年11月10日から12日まで、仙台にてWorld BOSAI Forum 2019が開催されました。お気づきの通り、「防災」を意味する“Disaster Prevention”や“Disaster Risk Reduction”ではなく、日本語の“BOSAI”が使われています。日本は、全世界の地震(マグニチュード6以上)の約2割が発生する場所にあり*1、台風の上陸頻度は世界第3位という災害大国です*2。BOSAIには、こうした背景のもとで蓄積されてきた、日本の「防災」の知見や経験を世界に広め、「防災の主流化」を目指すという意図が込められています。災害はひとたび起これば、あらゆる分野や人びとの日常生活にまで影響を及ぼします。それゆえ、活動の分野やレベルを問わず誰もが「防災」に取り組まなければなりません。
これを踏まえ、1999年ごろから「防災の主流化」という言葉が国連国際防災戦略(現、国連防災機関:UNDRR)によって用いられるようになってきました。「防災の主流化」とは、明確な定義はないものの、災害予防の取組をあらゆる政策に反映させ普及させること、開発の政策に防災の視点を反映させること、防災への投資を増大させることの3点が主旨として掲げられ*3、フォーラムのスローガンとしても位置付けられています。
支援受け入れ機関の役割と負担
今回のフォーラムで特に興味深かったのが、災害時に欠かせないボランティアを中心とした支援者とそれを取り巻く課題に関する議論でした。阪神淡路大震災が起こった1995年は、ボランティア元年とも呼ばれ、それ以降日本では、災害が起きると全国からボランティアが駆けつけるという光景が見られるようになりました。ボランティアによるがれきの撤去や泥のかき出しなどの支援が感謝される一方で、被災者ニーズとのミスマッチ、支援の受け入れ機関やボランティア自身に重くのしかかる負担などの新たな問題が指摘されるようにもなっています。
NPOやボランティア団体の役割をテーマとしたセッションでは、平成30年7月豪雨で被災した岡山県・倉敷市におけるボランティア受け入れの実態が報告されました。それによると、7月6日から7日にかけて発生した豪雨の後、9月までに53,019人がボランティアに訪れています。ここでの大きな問題は、それだけの数のボランティアを管理する受け入れ側のNGOのキャパシティ不足です。
東日本大震災以降、健康、障がい者支援、児童保育、福祉、環境等さまざまな分野で活動していたローカルのNPOが、「防災」の重要性を認識するようになり、それぞれの組織活動の中に「防災」を組み込むようになりました。このことは、「防災の主流化」に則った変遷であり、歓迎すべきことではあります。しかし、新たなテーマを個々のNPO活動に組み込むということは、これまでと異なる専門的知見が求められることになり、新たなパートナーシップの構築が必要となります。
災害時の障がい者支援に関するセッションでも、NPO等の現地の既存組織の重要性が指摘されました。これまでの災害において、障害を持ちながらも、様々な事情により日頃から公的な障がい者支援サービスを受けていない人が、災害時に適切な支援を受けられないという事態が発生しています。災害時に、福祉的支援を必要とする人たちを把握し適切な支援を提供するため、福祉の専門家らが被災地域にて個別訪問を行っています。こうした活動を支援する枠組みとして、「災害福祉支援ネットワーク」の立ち上げが厚生労働省によって進められています*5。これに基づき、災害時には、全国各地から福祉の専門家が被災地に集まり、現地の障がい者支援にあたります。こうした支援者のとりまとめを行うのが自治体の所管課や地元NPOなどの現地組織(ネットワーク事務局と位置付けられる)になりますが、やはりそこでも現地組織のキャパシティが活動の運営を左右します。
非公式セクターの制度化と“BOSAI”力の向上
ボランティアの受け入れだけではなく、ボランティア志願者側の体制についても議論が交わされています。上記のグラフからも明らかなように、ボランティアの数は、被災地域にとって最も必要な時期にピークを迎えるのではなく、ボランティア側の休日に連動します。もしくは、ボランティア志願者や専門性を要する派遣者の中には、有給休暇等を取得して支援に向かっているという実態もあります。そうでなくとも、往復の旅費・滞在費の負担や、滞在場所や食事等の確保についても現地の被災者に迷惑をかけないことが求められ、現状においてボランティアは、あくまでも個人的になされることであり、その負担や責任が個人にのしかかります。
このような課題に対する解決策の一つに、災害時の支援者のための環境整備を進めていくことが挙げられます。オーストラリア赤十字社のボランティア制度を見ると、平時にボランティアを募集し、平時に研修を行います。基礎的な研修から上級訓練まで、ボランティアの多様なキャリアパスが描かれます。日本においても、広域連携における労務管理上の位置づけの明確化や規定整備等を含むボランティア活動の制度化が求められています*7。ボランティアが制度化されることで、研修を受けたボランティアが社会的に認められた位置づけで現地に赴くことができるようになり、現地のニーズに見合った支援の提供やボランティア個人の負担の軽減、受援者側に立つ現地の事務局運営の支援などの可能性が広がります。今後、支援者および受援者、両者の活動の円滑化を進める環境整備の進展は、日本の“BOSAI”力のさらなる向上につながると考えられます。
*1 「平成26年版防災白書」付属資料1世界の災害に比較する日本の災害被害
*2 気象キャスターネットワーク広瀬駿(2014)「数字で観た世界の台風」
*3 「平成27年版防災白書」特集 第3章 第1節 我が国の国際防災協力の概要
*4 Six Months Since Western Japan Flood, Lessons from Mabi, CWS Japan, 2019
https://www.cwsjapan.org/wp-content/uploads/2019/03/Lessons-From-Mabi.pdf(アクセス日2019年11月)
*5 厚生労働省. 災害時における福祉支援体制の整備等.
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000209718.html(アクセス日2019年11月)
*6 Role of NPOs and volunteer organizations in disaster recovery: International and Japan cases / Tohoku University-IRIDeS in World BOSAI Forumより一部抜粋
*7 小高將根. 大阪府国際交流財団による外国人への災害時支援と今後の課題. 復興. 2017; 8 (2): 6-10
URCナレッジコミュニティ 防災ワークショップ【報告】
「みんなが助かる社会とは ~外国人の困りごとや備えについて考えよう~」
URC Knowledge Community: Disaster Prevention Workshop 【REPORT】
“What makes a society where everyone can be saved
– Let’s talk about the challenges and the preparedness for foreigners! –“
URCでは、2019年度「防災」をテーマに総合研究に取り組んでいます。なかでも、福岡を訪れる外国人や市内の在住外国人が増加していることを踏まえ、災害時の外国人支援にフォーカスをあてています。
その一環として、URCの定期イベントであるナレッジコミュニティにて、防災ワークショップ「みんなが助かる社会とは “外国人の困りごとや備えについて考えよう”」を開催しました。
当日は、定員(30名)を上回る38名の方(うち13名が外国出身者)にご参加いただき、テーマへの関心の高さが伺えました。参加者は、福岡県・市内で活動する、国際・防災・観光関係の団体・事業者、メディア、学校等、外国人の災害支援に携わる多様な関係者ならびに留学生らで構成され、活発な議論が交わされました。
◆ワークショップ概要◆
【タイトル】 「みんなが助かる社会とは “外国人の困りごとや備えについて考えよう”」
【日時】2019年10月31日(木) 15:30~17:30
【会場】福岡アジア都市研究所 会議室
【主催】公益財団法人 福岡アジア都市研究所
【共催】福岡市
【定員】30 名
【プログラム】
15:30 URC常務理事挨拶
15:35 URC報告「都市における外国人災害対策と災害時における外国人の脆弱性」
・URC研究主査 中村 由美
・URC研究主査 菊澤 育代
16:00 ワークショップ進め方の説明
16:05 ワークショップ① 「多様なシーンにおける課題発掘」
16:35 ワークショップ② 「助かる社会の環境づくり」
17:05 ワークショップ①②の報告
17:20 総括
17:30 閉会
名刺交換
◆URC報告◆
ワールドカフェ形式のワークショップにて参加者が意見交換を行うための基礎情報として、「都市における外国人災害対策と災害時における外国人の脆弱性」についてURCより報告がありました。中村研究主査からの報告では、外国人が情報を取得する際のツールに関する国内の多様な事例を紹介しました。音情報、視覚情報(デジタル・アナログ)、多言語支援センター等の人を介した情報、それらを支えるシステム、という視点から事例の報告を行いました。菊澤研究主査からは、外国人が災害時に直面する課題や傾向についての報告を行いました。来訪者と在住者の別に加え、言語、前提条件、心理的不安、情報収集、生活文化の5つのカテゴリーに分類される課題を提示しました。さらに、災害時の情報発信の方法を検討するにあたり、考慮すべき福岡市の在住外国人の言語技能特性についての調査報告を行いました。報告はいずれも、日本語(ルビ付き)と英語で資料を提供し、多様な参加者が理解しやすいよう配慮しました。
◆ワークショップ◆
ラウンド①では、「多様なシーンにおける課題発掘」として、地震・停電等を想定し、「どこで、どんな外国人が、どんな課題に直面しているか」について参加者らが意見を交わしました。外国人が、何をしたら良いのか、どこへ行けば良いのかといった、周囲の状況も自分の取るべき行動も、色んな「わからない」状況が生まれるであろうとの意見が多数出ました。他にも複数意見として、情報収集をしようとする外国人のためのWi-Fiやスマホ等の充電への不安についての意見が挙がりました。さらに、旅行者であれば大きな荷物を抱えての移動が大変になること、宿泊施設や交通機関において個別の問い合わせが殺到するであろうことなどが挙げられました。
ラウンド②では、「助かる社会の環境づくり」として、ラウンド①で出された課題に対し、どのような解決策があるかについての議論がなされました。街のあちこちに平時からスマホの充電ポイントを設置し災害時には開放する、などの個々人が情報収集できる環境づくりについての意見が出されました。また、入国時や施設入館時に緊急時のポータルサイト等が記されたカードを配布するなどの事前の情報提供についての意見が複数出ました。GPSで避難場所に案内してくれる技術や情報の多言語化アプリ、さらには個々人の居場所や言語、ニーズなどに配慮したカスタマイズド情報が送られてくる仕組みなど技術的解決策についての提案がありました。ただ、最後には、人による支援として、日本人も多様性や共生についての認識を深め、避難時には周囲に声を掛けるなど、一人ひとりの配慮の大切さが強調されました。
◆全体を通して◆
今回、このテーマに関係するであろう多くの方々にお声がけし参加を呼び掛けた結果、予想以上の関心が示され、ワークショップを多様な“当事者”の交わる場とすることができました。本ワークショップの目的は、外国人が災害時に直面する課題と解決策の模索でしたが、第2の目的である関係者間のネットワークづくりにもアプローチできたのではないかと感じます。これを一過的なイベントとせず、継続した研究および関係づくりに発展させていけたらと思います。
(公財)福岡アジア都市研究所一同、沖縄の皆さまへ、心よりお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復旧をお祈り申し上げます。
沖縄における観光危機管理
~県一体となった災害・危機への対応
✔ 観光客と観光産業を守るための計画の策定
✔ “危機からの回復”までを視野に:麻しん(はしか)感染拡大防止の取り組みの事例
✔ 一人ひとりが観光産業の守り手である
沖縄と聞いて、皆さんはどんなことを思い浮かべますか?青い海、白い砂浜、おいしい食べ物など、観光地としてのイメージが強いと思います。まさに観光は沖縄の主要産業であり、県の経済や雇用を支えています。ゆえに、沖縄は“観光産業を守る”という意識がとても高く、国内で唯一、観光危機管理に特化した計画を有している県でもあります。観光危機とは、観光客や観光産業に大きな影響を及ぼし得る災害や危機のことです。今回、このような沖縄県の観光危機管理の取り組みについて調査を行いました。
観光客と観光産業を守るための計画の策定
冒頭で、観光が沖縄の主要産業であると述べましたが、同県において、観光収入は約7,334億円、県のGDPの約16%を占めています*1。観光産業への雇用効果は、全就業者の約20%に相当するほど、雇用面でも重要な役割を担っています*2。観光客も増加傾向にあり、アジア各国・地域間とのLCCの就航増加を背景に、特に外国人観光客が増加しており、対前年度比では11.5%増となりました*3。外国人観光客は、言葉や場所がわからないことや、慣習の違い、地域コミュニティとのつながりをもたないことから、災害発生時には特に配慮や支援を必要とします。このような人たちが、多く滞在している状況にあると言えます。沖縄県では、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件による観光需要の落ち込みという経験と、さらに、2011年の東日本大震災の発生を受けて、災害や危機から観光客と観光産業を守るという意識が生まれました。その後、観光危機管理モデル事業が実施され、2015年には「沖縄県観光危機管理基本計画」、2016年には「沖縄県観光危機管理実行計画」という観光危機管理に関する2つの計画が策定されました。観光危機は、下記の表に示しているとおり、地震や台風等の自然災害・危機のほか、人的災害・危機、健康危機、環境危機、県外で発生した災害・危機が想定されています。これらの計画では、観光危機が起こった際に、危機からの回復に向けた時間軸と、関係各所がどのように連携し、どのような方法で危機へ対応していくかが定められています。
*1 観光収入の数値は、沖縄県文化観光スポーツ部観光政策課「平成30年度の観光収入について」(令和元年7月)(https://www.pref.okinawa.jp/site/bunka-sports/kankoseisaku/documents/2018_fy_incom.pdf)。GDPの数値は、沖縄県企画部「令和元年度経済の見通し」(令和元年9月)(https://www.pref.okinawa.jp/site/kikaku/chosei/kikaku/documents/r1outlook.pdf)の平成30年度の県内総生産。
*2 就業者の雇用効果は、沖縄県文化観光スポーツ部観光政策課「平成29年度 沖縄県における旅行・観光の経済波及効果」(平成30年9月)(https://www.pref.okinawa.jp/site/bunka-sports/kankoseisaku/documents/h29_economic_effect_20180925.pdf)。全就業者数は、前掲注1「令和元年度経済の見通し」。
*3 観光客数は、沖縄県文化観光スポーツ部観光政策課「平成 30 年度 沖縄県入域観光客統計概況」(平成31年4月)(https://www.pref.okinawa.jp/site/bunka-sports/kankoseisaku/kikaku/statistics/tourists/documents/h30nendogaikyou.pdf)。
“危機からの回復”を視野に:麻しん(はしか)感染拡大防止の取り組みの事例
今回、計画の策定に携わった沖縄観光コンベンションビューロー(OCVB)へ、沖縄の観光危機に関する取り組みについてお話をうかがいました。観光産業は、下記の図の4つの時間軸で考えると、平常時や発災直後の対応はもちろんのこと、左上の“危機からの回復(Recovery)”も重要です。観光危機発生後、観光客が減少することは想像に難くありませんが、これは決して“一時的な現象”ではありません。風評被害による客足の低下など、危機発生後もしばらく影響が残り、経済に深刻な被害を及ぼしてしまうのです。
出所:沖縄県「沖縄県観光危機管理基本計画 概要版」p.5(https://www.pref.okinawa.jp/site/bunka-sports/kankoseisaku/kikaku/report/policy/documents/gaiyouban.pdf)
近年の観光危機の事例として挙げられたのが、2018年3月に沖縄県内で麻しん(はしか)患者が確認され、県内での感染者が拡大するという「健康危機」の発生でした。麻しん(はしか)患者発生後、沖縄県では、観光産業への影響を最小限に止めるために、麻しんや感染者数に関する正しい情報の発信や、国への「麻しん(はしか)感染拡大防止策にかかる提言書」の提出等の取り組みが迅速に行われました。その結果、早期に麻しん(はしか)流行の終息が図られ、損失を最小限に止めることができたのです。同年6月11日には、関係各所との共同記者会見による沖縄県の終息宣言が行われ、その後、国・地域別の観光プロモーションの実施など、観光客を呼び戻すための取り組みが行われました。
一人ひとりが観光産業の守り手である
こうした迅速な対応が可能だった理由の一つとして、それまでに、関係者間の連携が構築されていたことが挙げられます。観光危機管理に関する計画の中で、官民一体となった取り組みと、情報収集や情報発信等に係る各主体の役割が明記されています。今回も、初動期から継続して、県とOCVBが「沖縄県観光危機管理連絡会議」を開催し、情報共有や対応策の検討を行い、観光関連団体や事業者も感染拡大防止のための取り組みを行うなど、連携が図られました。
また、組織レベルの連携構築のみならず、「沖縄観光危機管理シンポジウム」等を通じた、県民を巻き込んだ観光危機管理に関する意識の醸成が進められています。OCVBへの聞き取りによれば、特に近年、観光客はメジャーな観光スポットだけではなく、レンタカーで住民が普段生活している地域まで行くことも増えているそうです。つまり、万が一地震等の災害が起きた際、観光事業者に限らず、県に住む一人ひとりが観光客の支援者となり、観光産業の守り手になり得るのだといえます。沖縄では、県一体となって、災害や危機への取り組みが推進されているのです。
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多様性を認める社会づくりと防災
✔ 男性は避難所運営本部?女性は炊き出し?
✔ 多様な人々の「違い」への配慮とは
✔ それぞれの役割を活かす社会づくりが防災力向上につながる
2005年、「防災基本計画」に男女共同参画の視点が初めて盛り込まれ、2013年に内閣府は「男女共同参画の視点からの防災・復興の取組指針」を策定しました。その背景には、これまでの災害時の経験から、避難所における男女のニーズの違いと必要な配慮について認識されるようになったことがあります。
防災における男女共同参画の観点や課題を学ぶために、「女性のための災害対応力向上講座:誰もが安心できる避難所の運営を目指して」(福岡県主催)に参加しました。一日のプログラムで、講演や避難時用グッズの制作体験、グループでの避難所図上訓練(HUG)*を体験しました。
* HUG:静岡県が開発した避難所運営を模擬体験するためのカードゲーム(参照元:http://www.pref.shizuoka.jp/bousai/e-quakes/manabu/hinanjyo-hug/about.html)
男性は避難所運営本部?女性は炊き出し?
まず「災害対応に⼥性の視点を活かす重要性」と題して、浅野幸子氏*の講演が行われました。浅野氏は、過去の震災で避難所の運営にも関わってこられ、実際に避難所で女性の避難者のニーズの収集などの活動もされてきました。講演の中で、浅野氏は避難所運営に関する一枚の図を示しました。その図の中には、「男性は運営本部の中で、人手が足りずに、ほとんど休むこともできずに疲弊している」一方で、「炊き出しは女性が行っており、重い食材も女性が運んでいる」というような様子が描かれています。いわゆる固定概念としての男女の役割分担が、そのまま避難所運営にも当てはめられていることがイメージできます。
しかし、もしかすると、女性の中に指揮を取った経験がある人がいるかもしれません。男性の中に料理が得意な人がいるかもしれません。また、男女問わず、衛生・栄養・育児・介護の知識のある人がいるかもしれません。つまり、性別にとらわれずに、その人の個性や能力に基づいて役割分担を行うことで、スムーズに避難所が運営される可能性が高くなるのではないでしょうか。
とはいえ、非常時の、ただでさえ混乱と疲弊が生じている中で、適切な役割分担について判断を行うことは難しいと考えられます。そこで大事になるのが、日頃の取り組みです。例えば、居住地から域外に通勤している人が多い地域の場合、昼間に地震が発生したとすると、居住地の主な避難者は子育て中の女性、幼児、地域の学校に通う児童や中高生、高齢者です。このような人たちが避難所の主な担い手となることは想像に難くありません。このような事態を踏まえて、浅野氏は、日頃の避難訓練の企画や運営に女性や子供の視点を取り入れ、実践的な体制を整えていくことの重要性を述べました。
* 減災と男女共同参画 研修推進センター共同代表および早稲田大学地域社会と危機管理研究所招聘研究員
多様な人々の「違い」への配慮とは
一つの避難所には、様々な人たちが避難してきます。避難行動要支援者や要配慮者とされる乳幼児、高齢者、怪我や病気を患っている人、外国人居住者や旅行者、そのほか、性別も性自認も、宗教、食文化、生活習慣も異なる人たちが集まります。そうした一人ひとりの「違い」と状況に対して、いかに配慮していくべきなのでしょうか。
講座の最後に、参加者5~6名のグループに分かれてHUG(避難所運営ゲーム)を行いました。チームメンバーは避難所の運営者であるとの設定です。警固断層を震源とする地震が発生したという想定のもと、発災後、大雨の中で、避難所に次々と地域の人たちが避難してきます。年齢・地域・家族構成・性別・国・持病の有無、ペット連れ等、避難者の様々な情報を考慮しながら、メンバーは避難所運営に関する判断を瞬時に下さなければなりません。
HUGを終えた後、グループごとに判断に迷った点等の発表を行いましたが、果たして決定が最善のものだったのかどうか、とても迷ったとの意見が多くみられました。一人ひとりの「違い」への配慮が必要なことは頭では理解しているものの、“言うは易く行うは難し”だということを、実際にHUGを通じて痛感しました。
この迷いの理由は、誰にどのような配慮をすべきかが分からないことに起因すると言えます。一人ひとりの「違い」への配慮に関するヒントは、浅野氏のお話にあった「どのような手助けが必要かは当事者にしか分からないので、当事者に聞くことが大事。」という言葉にあるのではないでしょうか。その人に必要な手助けを聞き、また、当事者が必要なことを話しやすく、対応について一緒に考えていくことができるような体制や雰囲気づくりが、解決への糸口になるのだと感じました。
それぞれの役割を活かす社会づくりが防災力向上につながる
今回の講座のテーマには「女性のための」と掲げられていましたが、講座を通じて気づいたのは、防災力向上のための鍵は、女性の役割はもちろん、性別に限らずに個々人の役割をどう活かすかを考えていくことにあるということでした。災害への「備え」という場合、ともすれば「わざわざ何かをしなければならない」と身構えてしまい、難しいことのように感じてしまうかもしれません。もちろん、備蓄品のように、非常時に向けて特別に準備していく必要があるものもあります。ですが、平時の社会のあり方が災害時にもそのまま活きると考え、日頃から多様性への認識を深め、個人の特性を活かせるような社会を作っていくことも、防災力向上には欠かせない取り組みであるとの気づきが得られた一日となりました。
避難所運営の若き担い手
~熊本大学における被災者支援 【後編】~
✔ 手探りからの情報収集・伝達手法の確立
✔ 背中を押された学生たち
熊大学生による避難所運営における多様な支援活動の中でも、ここで取り上げたいのは、学生ならではの工夫や姿勢です。例えば、避難所の一日のスケジュールを見ると、エコノミークラス症候群などの予防策として、朝10時と夕方16時の2回、ラジオ体操が組まれていました。生涯スポーツ福祉課程の学生が中心となり、子どもからお年寄りまで、脚が不自由で立ち上がりづらい高齢者や車いすの人たちにも、椅子に座ったラジオ体操を行い、参加を促しました。また、留学生ら、ラジオ体操を知らない人にも「ぜひ一緒に」と誘った結果、参加した外国人は初めてのラジオ体操を面白がり、外出中でもラジオ体操のために戻ってくる人も出てきたそうです。全体案内として関心のある人だけに参加してもらうのではなく、学生が避難者一人ひとりに声をかけることで、若さゆえの押しの強さ(?)も手伝って、健康維持にとどまらない、ラジオ体操を通じた避難者間の交流が生まれました。また、情報の収集や伝達においても、学生らしい一面が見られました。災害発生時には、大量の情報が行き交い、どの情報が信頼できるのか、混乱しがちです。そこで、学生らはグループLINEを活用し、近隣の小中高の巡回中、物資の過不足についての情報をグループ全体で共有しました。本部に必ず情報が集まる仕組みを整備したうえで、本部では、ラジオやスマートフォンを使い、気象情報や交通情報、自治体からの発信、外国人避難に関する大使館からの情報等を収集しました。災害時の無料Wi-Fi 「00000JAPAN(ファイブゼロジャパン)」*が利用可能となっていたこともあり、学生が日ごろから使い慣れたスマホが活躍したことは想像に難くありません。また、個々の活動班の連絡・引き継ぎ用に、記録ノートを作成しました。このことは、記録集『416』でも「やっておくべきこと」として繰り返し述べられており、『416』の巻末には、今後の避難所運営に役立てようと記録ノートのフォーマット集がまとめられています。
熊大黒髪キャンパスでは、大学の教職員の多くが学生の安否確認のため動けない中で、学生らが指揮系統を確立し、情報共有手段を構築し、課題に対応してきました。しかし、これらの学生がバラバラに、例えば地域の公民館の一被災者となっていたら、ここまでの主体性を発揮しなかったかもしれません。支援を受ける側(受援者)に留まっていた可能性も考えられます。このことは、誰しもが環境や条件によって、支援の担い手にも受け手にもなりうるということ示しています。
熊大の場合、避難所が大学という学生らのフィールドであったこと、サークルなどの組織的な土台があったこと、教職員の不在により「自分たちが何とかしなければいけない意識」が初動の段階で生まれたこと、など多様な条件が考えられます。しかしこれらに加え、著者がヒアリングを通して感じたことは、学生たちが熊大での避難所運営で支援者として活躍できたのは、最後まで“大人たち”が後方支援に徹し、学生に判断を委ね、行動の主導権を与えたことにあったのではないかということです。誰かに頼られたり、何かを任されることは、人々の行動の動機付けになります。こうしたことが、防災人材の育成や災害時の支援者を育成していくためにも、重要な鍵になるということを感じた熊大訪問となりました。
* 00000JAPANは、通信事業者が日ごろ契約者のみに提供するアクセスポイントを大規模災害時に開放する取り組みで、熊本地震で初めて実際に運用された
大学が避難所に!熊本地震からの学び
~熊本大学における被災者支援 【前編】~
✔ 当事者意識と日常的なつながりの奏功
✔ 適材適所の役割分担
2016年4月14日21時26分、熊本地方を震源とする震度6.6の地震が発生、さらに28時間後の4月16日午前1時25分には、震度7の地震が発生しました。熊本地震の余震と本震とされる地震です。熊本地震の一連の地震では、最初の揺れから36時間の間に震度6弱以上の揺れが7回観測され、発生から4日間で震度1以上の余震が1,000回を超えるなど、短期間で揺れが集中して発生したという特徴があります。つまり、被災した人たちは、数分、数十分おきという頻度で揺れを感じていたことになります。そんな中、熊本大学黒髪キャンパス(以降、熊大)には、不安を感じた学生や地域住民が続々と集まり、最終的に最大1,000名が避難する避難所となりました。熊大は、そもそも指定避難所ではありません。それでも集まってきた地域の人たちを支援するために、学生たちが立ち上がりました。
2019年7月某日、熊大黒髪キャンパスにおける避難所運営の当時の様子を伺おうと、筆者の元同僚でもあり、現在は熊大で地域防災を専門とする安部美和准教授を訪ねました。当時、避難所運営に携わった安部先生は、地域防災の専門に加え、過去に消防局で救急救命にも従事していた経歴を持つ、まさにキーパーソンと言える方です。筆者は、震災ののちに熊大の学生がとりまとめた避難所運営記録集「416」を読み、聞き取りに臨んだのですが、印象としては「半信半疑」でした。というのも、「416」に描かれた避難所における学生は、まさに八面六臂の活躍で、たまたまボランティア経験者の集まりだったのか、安部先生が陣頭指揮を執ったことによるのか、とよほど好条件が重なった結果であろうと思われたのです。実際に話を伺ってみると、運営に携わったのは防災の知識やボランティア経験を持たない普通の学生でした。大学の備蓄を集まってきた人たちに配ろうとしたものの、総量がわからず、1日目に全て配給してしまうということもあったそうです。ただし、本震から一夜明け、安部先生が避難所に合流したときには、すでに学生による指揮系統ができあがっていました。大学祭の実行委員会(紫熊祭実行委員会)、体育会、熊大生協組織部、法学部志法会、教育学部障害スポーツ福祉課程、医学部保健学科、などサークルや学部等を単位として、各グループ間で情報伝達を行う仕組みが整っていたということです。こうした学生の自発的な動きの背景には、教職員等の“大人” (学生の表現によれば)を混乱した中で見つけることができなかったことに加え、大学という自分たちのフィールドが舞台となったことから得る当事者意識や、日ごろからの学生間のつながりというものがあったように感じられます。
本震から一夜明けた16日の朝には、教職員の存在が把握できるようになり(住民も教職員も誰が誰かわからない状態だった)、安部先生の合流もあり、学生らのグループを軸に、本部、救護、環境、外国人対応、情報、物資管理、受付、夜間警備の8つの班が配置されました。本部には紫熊祭実行委員会、救護には保健センター職員および看護学生、物資管理には生協組織部、外国人対応には留学経験者、ラジオ体操はスポーツ福祉課程の学生など、それぞれの特性に応じた担当が決まっていきました。加えて、各班や役割で連絡ノートを作り、起こったことや活動を記録するとともに本部に情報が集まる仕組みを整え、学生による避難所運営が稼働し始めました。
(後編に続く)
阪神・淡路大震災から24年後のまち
~神戸市長田区野田北部地区の視察報告~
✔ 震災当時の様子を物語る樹木や街灯
✔ 地域住民による震災後のまちづくり
✔ 新たな住民層により変わる地域
(写真:山田美里)
野田北部地区は、JR鷹取駅の南東部に位置しています。
上記2画像の出所:野田北ふるさとネットホームページ(http://www.nodakita-furusato.net/modules/aboutnodakita2/)
震災当時の様子を物語る樹木や街灯
震災時に発生した火災により、野田北部地区の半分以上が焼失しました。野田北部地区の北部に位置する大国公園には、焼け焦げた跡が残る樹木や、熱で変形してしまった街灯が残されており、当時の様子を生々しく物語っています。
大国公園とその周辺の道路は、阪神・淡路大震災が発生する1か月前の1994年12月に再整備が行われたばかりでした。真新しい道路の上に、倒壊した建物の破片が崩れ落ち、辺りの様子は一瞬で変わってしまいました。大国公園には、火災当時の様子を写した写真も展示されています。全焼した家屋は3割、全半壊した家屋は7割と被害は大きなものでした。
地域住民による震災後のまちづくり
防災を考えるにあたり、実際に大きな災害を経験した地域が、どのように立ち直り、復興したかを知ることで、今後起きる可能性のある災害に、今から備えられる施策を検討する際の大きなヒントとなります。
震災後の復興は、1993年に発足した「野田北地区まちづくり協議会」が大きな役割を果たしました。「野田北地区まちづくり協議会」は、大国公園と周辺道路の再整備などのまちづくりに携わってきた住民組織です。震災後は、地域住民と協力して「街並み誘導型地区計画」(1997年、全国で初めて条例化)のための勉強会等を行いました。また、1997年に国土交通省の「街並み環境整備事業」を導入し、区画整理(写真黄色部分)を順次進めていきました(2007年事業終了)。
復興は、協議会とともに、自治連合会やNPOなどの様々な主体の関わりの下で行われました。そうしたネットワークをつなぐ場として、2002年に誕生したのが「野田北ふるさとネット」です。まちづくり協議会の活動が、ハード面の整備からソフトな活動へと移行する中で誕生し、現在は、地域の課題をみんなで考え行動する場となっています。
区画整理で整備された各通りには、「サザンカ通り」、「ひいらぎ通り」など、花や樹木の名称が付けられています。地面には、それぞれの通りの名称と花や樹木の絵が描かれたパネルがはめ込まれています。この名称は住民自身が名付けたものだそうです。きれいに整備された街並みからは、ここで震災が起こったのだと想像するのは難しく、それほど長い年月が経ったのだということを実感しました。
新たな住民により変わっていく地域
河合氏によれば、震災後もこの地域に住み続けている人は震災前の半分ほどで、震災から24年が過ぎ、当時の様子を知る人たちも少なくなってきているそうです。近年、単身者やファミリー世帯などの新しい転入者が増えているとのことで、単身者向けの新築アパートや、JR鷹取駅の近くにファミリー向けのマンションが建設されている様子も見受けられました。新たな住民が増えている背景には、この地域が三宮や大阪の通勤圏内であるという利便性の高さがあるそうです。
また、長田区の人口の7~8%は海外の人たちで、韓国人やベトナム人の住民も増加しています。震災の際にボランティアの拠点ともなった「カトリックたかとり教会」には、日曜日のミサの時には、ベトナム人の教徒が地区外からも多く集まっていてとても賑やかだそうです。河合氏のお話の中で、「震災が起こった時は、顔を知っている人でないと助けることができない。日常的に近隣住民とのコミュニケーションをはかっていることが大事だと思う。」という言葉がとても印象的でした。地域に住む人たちが入れ替わる中でも、人と人のつながりをいかに作っていくのか、そうしたつながりをつくるための日頃の取組みが、災害に向けた「備え」になり得るのだと感じました。
一人ひとりが「助かる」とは?
~「地域コミュニティの防災力の向上シンポジウム」参加報告~
✔地域づくりの”隠し味”としての防災
✔減災とは「最後の一人まで助けること」
2019年6月3日(月)、姫路にて開催された「地域コミュニティの防災力の向上シンポジウム」に出席しました。本シンポジウムは、(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構による「地域コミュニティの防災力向上に関する研究 ~インクルーシブな地域防災へ~」(2018 年 3 月発刊)の調査報告という位置づけで、また、「阪神・淡路大震災25年記念事業」の一環として開催されました。
インクルーシブなまちづくりとは「助かる」社会を構築すること
当該研究は、「学知」(大学・研究所)と「実践知」(NPO・市役所等)の両面から、人々の多様性に配慮したインクルーシブ(包括的な)で持続可能な地域防災像を提示し、実践的な方略を提言することを目的としています。
シンポジウムで基調講演を行った、研究統括者の渥美公秀氏(大阪大学)によれば、インクルーシブなまちづくりとは、誰かが誰かを「助ける」、誰かに「助けてもらう」という事態の連鎖を計画するのではなく、「助かる」関係を構築する、ということを意味します。「助ける」「助けられる」ではなく、中動態で示される「助かる」社会は、誰が誰の意志と責任で助けた・助けられた、と言い合わないで済む社会とされます。
地域づくりの〝隠し味″としての防災
研究では、兵庫県上郡町赤松地区をモデルに、連合自主防災組織を母体としつつも、外部の組織や個人と協働して作り上げる地区防災計画が模索されました。この取り組みは、防災に特化した計画の策定ではなく、あくまでも村づくりの一環として、地域おこしや福祉、環境などの取り組みと連動した地区防災として進められています。地区の地域行事である白旗城まつりを活用し、地域おこしの一環として災害時要援護者への支援を実験的に行っています。
例えば、高齢者や障がい者に対して、祭りの参加を促し、まつり会場までの移動手段を検討するのですが、この検討と移動手段の提供こそが、実際の避難時の移動手段となるわけです。65歳以上の住民リストを作成し、それぞれの移動手段を検討すると自ずと発災時に配慮が必要な人や居住場所、支援者、支援の方法等が浮かび上がってくるという具合です。シンポジウムを通して得られたキーワードの一つが、防災のみを切り取って議論することはできない、ということです。防災の基盤として地域づくりがあり、地域づくりの隠し味として防災がある、という位置づけが強く感じ取られました。
減災とは「最後の一人まで助けること」
研究に関わる研究者や地域の人たちが登壇したパネルディスカッションでは、「助かる」「インクルーシブ」「まちづくり」の3つのキーワードに沿って議論が展開されました。中でも、
インクルーシブにおける「最後の1人を助けること」と「最大多数の幸福を達成すること」の葛藤についての議論が印象的でした。
その中で、被災地NGO協働センターの村井氏は、法学者芹田健太郎の言葉を借りて、100人中1人だけが違うことを言う時に、そのたった1人の代弁をするのは誰なのかという議論を提示しました。この場合、それがNGOであり、残り99人への対応は行政・政府が担うと指摘しました。こうした連携によって、やはり減災の目標は「最後の一人まで助けること」であると力強く述べられました。
冒頭の渥美氏の「助かる」社会がこれに重なり、誰が誰を助けるのか助けられるのかではなく、みんなで協働して「最後の一人まで」が「助かる」ように協働することが防災・減災のあり方であると感じました。